今年の夏休みはチベットに行ってくる
という連絡がありました。
私も一度訪れたので、抜けるような青い空、はためくタルチョ、ドン引きしたギャコック鍋・・
そんな懐かしい情景が思い出されます。
ツェタン
私がチベットに行ったのは忘れもしない2008年3月。
そう、ニュースでも大きく取り上げられましたが、大規模なチベット(ラサ)騒乱が勃発したときです。
あのときは、まさかそんなことが起きるとは露知らず、憧れだった(←あえて過去形)青蔵鉄道に乗って、高山病のひどい頭痛にうめきながらチベットに入りました。
その後、高度順応もかねて数日のラサの観光後ツェタンを訪れるという、全部で一週間ほどの行程です。
翌日には頭痛も治まり、ラサの観光に元気良く出発。
ところがだんだんとおかしな空気が漂い始め、いくつかのお寺が閉鎖したり、軍用車がポタラ宮の前に集まってきたりして、その内、
どうやらどこかのお寺で問題が発生したらしい
といううわさ程度の情報が入ってきました。
ポタラ宮の前に並ぶナンバーを隠した車輌
しかし、外国人が追い出されるとか、目立って争う様子は見られなかったので、見学可能なお寺に訪問先を変更したりして臨機応変に観光続行。
そして数日後、ラサを発ってツェタンに向かったその日の午後、
ラサ市街で騒乱が勃発した
との一報が移動中の私たちに届きました。
街中では装甲車が住民を襲い燦々たる状況で、これからツェタンの方にも派生してくるかもしれないので夜間の外出は控えるようにとのお達しが。
幸い私たちが滞在中、ツェタンはいたって平和だったので、予定通り観光ができました。
なんとかすべての観光を終え、帰国するためにラサの空港に行くと、セキュリティが厳重になり、飛行機はラサから逃げる人で満席状態。
そのうちの一人に話を聞くと、ラサ市内は大変な混乱でポタラ宮も閉鎖され、観光どころではないとのことでした。
乗り継ぎの成都へ着いて空港のロビーに出ると、世界各国から集まったマスコミが押し寄せ、ラサからきた私たちに状況を聞くべくマイクやカメラを向けてきます。
しかし、確かに現地にはいましたが、なにぶん詳しい情報が入ってこないので、私たちも状況がよくわかりません。
こっちが教えてもらいたいところですが、後で聞くと、日本でもラサにいる観光客の安否情報が報道されるなど、当の本人たちが知らないところで結構な大事になっていたらしいです。
チベットでの写真をたくさん撮ってきたので、中国当局にそれが没収されないかとヒヤヒヤでしたが、なんとか北京経由で無事帰国することができました。
→そのときの詳しい旅行記はこちら
帰国後、だんだんと状況が明らかになってくると、各地で死者や逮捕者が出たりとの報道もあり、つい数日前に歩いていた場所だとは到底思えない惨状になっていました。
今の日本で暮らしていると、いつ警察や軍に拘束されるかわからない状況というのは(今のところ)全くないので、こういうことが起こるまでは考えもしませんでしたが、中国内のチベット自治区で暮らすチベットの人たちは、常にそういう危険にさらされているのだと実感します。
そんな中で、暮らしていかなければならないなんて、
絶対におかしい
2008年以来、毎年3月は外国人観光客の入域が許可されなくなったそうです。
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