2015年9月29日火曜日

日本三名園「偕楽園」と千波湖散策#05-偕楽園(好文亭)

順路通りに進んでいきます。

羽衣の松
偕楽園には、天翔の松・羽衣の松、三公園の兼六園には、根上りの松・唐崎の松、特別名勝の栗林公園には、鶴亀松・根上り五葉松と、それぞれ名木がある。
天翔の松や羽衣の松は、兼六園、栗林公園の松のように、人為的に創られたものではなく、永年の風雪に耐えた自然な姿である。この松の樹容は、偕楽園の自然式大名庭園を象徴するものであろう。
梅林から眺めた天翔の松は、空高く天を衝く黒松である。(省略)
羽衣の松は、仙奕台の南岸に根を生やし、やや斜めに立ち上がって、全ての枝を南崖に垂らす。(省略)
羽衣の松も黒松であって、幹周り2.4メートルで天翔の松より若い。
白梅を白砂、波、衣にたとえ、黒松を添えると、三保の松原に連なる。
常盤公園覧勝図誌には「仙奕台の辺りに松樹ひと根は駿州三保の松原羽衣の松笛をうつされしとなり」とある。真偽はともかく、この松の由来はここにみられる。(以下省略)(案内版より)




細い廊下に入り組んだ間取りでちょっと冒険心がくすぐられる造り。
各部屋には四季を感じさせる絵がふすまに描かれていて、それにちなんだ名前がつけられていました。

 



菊の間



 


つつじの間

 

 

 

 


松の間




紅葉の間






竹の間

 


梅の間
明治二年から同六年まで藩主夫人の居室となり、明治三十五年大正天皇が皇太子の時ここにお泊りになられました。
また、大正元年、昭和天皇が皇太子の時秩父宮高松宮殿下とご一緒に御来亭の折御休息なされ大正十五年には、三笠宮殿下が御休憩なされた部屋です。(案内板より)



 




萩の間
藩主夫人がお城から好文亭においでになった時、お供の御殿女中が休息した控えの部屋です。(案内板より)




桜の間



 


華燈口
奥御殿から茶室に渡る出入口で、小坊主が控えていて連絡にあたった部屋です。
室内の杉戸には、古今集の和歌が華麗な色紙短冊に書かれていましたが火災により損傷したので、一部作り直したものです。(案内板より)




東広縁
塗縁の間は、烈公が八十歳以上の家臣、九十歳以上の庶民の老人を時々招き慰安したり、家臣と共に作歌作詩などして楽しんだところです。(案内板より)



 

 

 

 


西広縁
三間と六間の大塗縁の北側と西側各二枚の杉戸には、作詩作歌に便利なように、四声別韻字真仮名平仮名を烈公が能筆の人に書かせ、辞書代わりにしました。
現在の文字は、東京芸術大学の先生が復元したものです。
天井は杉皮網代張り、仕切り戸は竹篭目紗張りで、ここに文墨雅人がよく集まり詩歌を作り書画をかいたりしました。(案内板より)

 






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