2015年9月24日木曜日

日本三名園「偕楽園」と千波湖散策#03-偕楽園(見晴広場)

千波湖から偕楽橋を渡り、常磐線の線路を下に見ながら偕楽園へ向かいます。

 

 


橋を渡り切ると森の中に入り坂を上っていきます。その途中にひっそりと「大日本史完成之地の碑」なるものがありました。

大日本史完成之地の碑
大日本史は、明暦三年水戸第二代藩主徳川光圀卿が編集に着手されてから歴代の藩主がその遺志を継承され實に250年を経て圀順公の時に至り、明治39年この地で397巻の完成をみたのである。(案内板より)





そこを通り過ぎさらに上っていくと偕楽園の入口に到着。入園は無料です。

偕楽園
偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三公園」のひとつで、天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭が領内の民と偕(とも)に楽しむ場にしたいと願い、つくりました。13haの園内には約100品種・3000本の梅が植えられ、早春には多くの観梅客でにぎわいます。
偕楽園は梅の名所として有名ですが、その他にも四季折々の見所があり、春には桜、初夏には深紅のキリシマツツジ、真夏には緑あざやかな孟宗竹や大杉林、秋には可憐な萩の花やモミジが見られます。これらを通して眼下に広がる千波湖を望む景観は絶景の一言です。
また、偕楽園の眼下に拡張した新しい公園は、梅を中心とした田鶴鳴(たづなき)梅林、猩々(しょうじょう)梅林、窈窕(ようちょう)梅林の各梅林、芝生広場の四季の原、水鳥たちが遊ぶ月池などが点在し、広大な風景をゆったりと楽しめます。(パンフレットより)

 




中へ入ると、この時期、萩まつりが行われていました。
見晴広場にはたくさんの紅白の萩が咲き誇り、その間に観光客がゴザなどを広げて寛いでいる姿がありました。


偕楽園の萩は、天保12年(1841年)から天保13年(1842年)に徳川斉昭が各藩(ミヤギノハギは仙台藩)より譲り受けたものを、偕楽園創設とともに植えたのが始まりといわれています。
園内には、ミヤギノハギやマルバハギなど五種類、約750株の萩があります。(案内板より)
















庭園には萩だけではなく、松や桜なども植えられ見事な枝ぶりを見せています。
二季咲桜の枝には桜の花も咲いていました。

二季咲桜
シキザクラ(和名)の仲間で、秋から冬にかけてと春の年二回咲く一重咲きの桜です。
初代の二季咲桜は、水戸藩士米某氏邸にあったものを移し替えたと伝えらえています。好文亭中庭と東門付近にもあります。(案内板より)








そんな風景に、父も久しぶりに一眼カメラを持ち出して盛んに写真を撮っていました。


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