3日目
立ち並ぶ部屋を覗きながら進んでいきます。
途中、「奥女中のくらし」という案内版がありました。
ガイド:奥女中のくらし
奥向きに勤める女性を奥女中、あるいは御殿女中といいました。彼女たちは長局内に部屋をもらって住んでいました。江戸城の例では、「タモン(多聞櫓の多聞に由来)」と呼ばれる女中の下働きもいて、部屋の中は、にぎやかだったようです。
と説明書きがありました。
やはり、女性が集まると賑やかになるのは、いつの時代も同じようですね。
廊下はまだまだ続きます。
さらに奥へ行くと、ついに「化粧櫓」に到着。
ガイド:化粧櫓
千姫が本多忠刻に嫁いで将軍家よりもらった10万石の化粧料で、この櫓を建てたと言われています。
階上には18畳、15畳、窓辺に6畳の3室をとって、天井には杉柾張り、壁面はすべて黒い木枠に紙を張ったものをはめ、すみずみまで技巧を凝らした住宅様式になっています。毎朝、千姫は城の北西にある男山天満宮を遙拝したと言われ、そのときの休息所がこの化粧櫓だったと言われています。
武蔵野御殿跡など桃山時代の居館様式を示す建物が姿を消している今、化粧櫓はわずかに当時をしのばせてくれるものだけに、その存在価値は大変大きいものです。
入口には千姫の羽子板などが展示されています。
そこから中へ入ると、今まで見てきた部屋とは明らかに違う畳敷きの広い部屋が広がっていました。
そしてその部屋の奥にはなんと千姫が!
お付きの女性と何かのカードゲームをやっています。
さらに傍らには噂のタバコセットも完備。
ガイド:千姫
慶長2(1597)~寛文6(1666)年。江戸幕府2代将軍特区側秀忠の長女。7歳で豊臣秀頼に嫁ぎましたが、大阪夏の陣で秀頼が自害し、死別。元和2(1616)年、本多忠刻に再嫁しました。
ここにある人形は、弘経寺(茨城県常総市)所蔵の「千姫姿絵」をもとに再現したものです。煙草盆があることから、煙草を嗜んでいたことがわかります。
また情景としては、百人一首を楽しんでいるところを想像してみました。
なるほど。
煙草を吸いながらの百人一首でしたか。
それにしても、窓がたくさんあって眺めも風通しも良く、本当にいいお部屋です。
一度でいいからこんなところに住んでみたい。
さて、化粧櫓でここの見学はおしまいです。
階段を下りると、入ってきたところとは反対側へ出てきました。
中庭を通りながら菱の門へ戻ります。
さきほどガイドをしてくれた人と一緒にいた方と挨拶を交わし姫路城を後にしました。
いや~姫路城、見ごたえありました。
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