2013年9月26日木曜日

姫路旅行記#12-千姫が暮らしていた姫路城の西の丸

旅行期間:2013年8月29日~8月31日

3日目

西の丸へは菱の門を入って左の坂を上っていきます。
千姫が暮らしていた居館が横たわり、ここも修復中でしたが中には入れました。

 

入り口で靴を脱いで階段を上ると、長細い板の間の廊下がずっと先まで続いています。
ここは西の丸長局(百間廊下)と言って、部分部分で名前のついた渡り櫓が重要文化財になっています。

 

 

中は風が通り抜けとても気持ちいい。
ところどころに開いた窓からは姫路の町が見渡せました。
千姫や侍女たちがしずしずと通っていた光景を想像しながら奥へ進んでいきます。

中庭側には部屋がずらりと並び、その中のいくつかに入ることができました。
今では家具も何もなくガランとしていて、床も壁も板張りでとても質素。
見た限りでは当時の様子はうかがいしれませんが、入れる部屋には千姫や姫路城にまつわるエピソードなどが書かれたパネルが置いてあるので、それを読みながらいきましょう。


序章 千姫千年愛


千姫の生涯を辿り、姫路城西の丸に宿る恋の物語にふれる。


徳川家康の孫娘として戦国の世に生まれた千姫が、運命に翻弄されながらも、ひとときの幸せをかみしめたのが、ここ姫路城でした。
波乱の生涯をたどる「ひめじ千姫ものがたり」。
千姫が実際に過ごした西の丸で、その面影を探してみませんか。
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第一幕 悲哀の姫


祖父・徳川家康、父・徳川秀忠、母・江・・・
愛に囲まれて生まれながらも、戦国の思惑に翻弄された幼少期。


千姫は、慶長2年(1597年)4月11日、京都・伏見にあった徳川の屋敷で生まれました。
父は後の二代将軍・秀忠、母は浅井長政とお市の娘・お江。(お江は織田信長の姪ということになります。)
千姫7歳のとき、豊臣秀吉の一人息子・秀頼に嫁ぎます。秀頼11歳。幼くして母と引き離され、人質同前の政略結婚で大阪城入りした千姫は、敵対する両家の板ばさみになるつらい立場に耐えながら、秀頼やその母・淀殿のもとで美しく成長しました。
元和元年(1615年)5月、徳川方に包囲された大阪城は炎に包まれ、淀殿と秀頼は自害し果てましたが、千姫は辛うじて救い出されます。
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第二幕 愛爛漫 ~前編~


傷心の千姫が見つけた唯一の愛。


身も心も疲れ果てた千姫は江戸へ帰る途中、伊勢桑名で一人の青年と出会います。
桑名城主・本多忠正の嫡男・忠刻(ただとき)が留守中の父に代わって千姫を迎え、その凛々しい姿が千姫の心にほのかに刻まれます。
江戸へ戻った千姫を待っていたのは、「坂崎出羽守直盛に嫁ぐように」との祖父・家康の言葉でした。家康は、燃え盛る大阪城を前に「千姫の命を助けた者には妻として与えよう」と約束、坂崎出羽守は炎の中に飛び込み、大火傷を負いながら千姫を救い出したのです。
でも、千姫の心は決まっていました。幼い頃から様々な思いを自分の中に閉じ込め、祖父や父に従って、懸命に自分の役割を果たそうと耐えて生きてきた千姫。
「もう言いなりにはならぬ」「忠刻さまの妻になりたい」
初めて祖父に逆らい、思いを訴える千姫に家康も心うたれ、めでたく本多忠刻のもとに嫁ぐことになりました。
結婚相手は親が決めるのが当然の時代、異例の恋愛結婚でした。
思いを砕かれた坂崎出羽守は、千姫の輿を奪おうとして果たせず、自害したと伝えられています。
ただ、この一件は事実とは異なり、大阪城で千姫を救い出したのは別の人物であるとも、忠刻との結婚は家康の意向であったともいわれています。ヒロインには、ドラマチックなエピソードがつきものといえます。
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第三幕 慈愛の生涯


幼い息子、最愛の夫、義母、江戸の母・・・次々と訪れる別れと、天樹院としての人生。


忠刻夫妻にはまもなく勝姫が、続いて幸千代が生まれ、幸せに暮らしました。ところが、幸せは長くは続きません。
元和7年(1621年)、幸千代がわずか3歳で病死してしまいます。その後夫妻は子どもに恵まれず、人々は「大阪城で滅ぼされた秀頼のたたりか」と噂しました。千姫は姫路城の西にある男山に天満宮を建立し、西の丸長局の廊下から毎日欠かさずこれを拝んで、男子出生と一家の繁栄を祈願しました。
千姫の願いはかなえられませんでした。忠刻が病に倒れ、寛永3年(1626年)5月、帰らぬ人となったのです。31歳でした。忠刻は幸千代とともに書写山に葬られました。後を追うように忠刻の母・熊姫もなくなり、さらに江戸の母・江の死の知らせが届きます。涙のかれるほど悲嘆にくれた千姫は、勝姫を連れて、さびしく姫路を去っていったのでした。
千姫は江戸に戻ると髪をおろして天樹院となり、寛文6年(1666年)2月6日に70歳の生涯を閉じるまで、弟・家光のもと静かに暮らしました。勝姫は、鳥取藩主で後に岡山に転封となった池田光政に嫁ぎました。
千姫は、寂しくなった江戸城で、忠刻や幸千代の冥福を祈りながら、ひとときでも幸せだった姫路城に思いをはせたことでしょう。
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この案内版は最後の方にあるので、事前にこういう話を知った上で歩くとまた違って見えると思います。

最上階にくると、大きな扉がありました。
これは「廊下の大戸」というもので、女性ばかりが住んでいたところだったので、毎夜閉ざして厳しい守りをしていたそうです。
なんだか扉に刻まれた小さな傷にも、いろいろないわれがあるんだろうなぁなどと思ってしまう。

 

 

 

 

その先に、千姫が男山を拝んでいたという場所がありました。
なるほど、すぐそこに見ることができます。



いったいどんな思いで眺めていたのでしょうか。


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