2日目
宿泊していた宿がそれぞれ違うところだったので、各々の好きな時間から活動開始。
とりあえず最初は姫路城に集まろうか、という話を前日にしていたのでそちらに向かいます。
それにしても今日も暑い。
日差しをよけながら駅を通り抜け反対側に出ると、広い一本道がまっすぐ伸びていてその正面に姫路城が見えます。
このJR姫路駅から姫路城まで続く大手前通りは、日本の通り100選にも選ばれた美しい道路。
木立が立ち並び、適度な日陰を作ってくれます。
駅前からバスも出ていますが、昨夜の経験から歩いていくことにしました。
なにしろ一本道だし、ターゲット(姫路城)も視界の中にあるので迷うことはありません。
15分くらいでお堀にかかる桜門橋に到着。
このあたりはなんとなく皇居周辺に似ている気がします。
その端を渡って大手門をくぐり少し行くと、三の丸の広場から目の前にドーンと姫路城の天守閣・・の絵が描かれたカバーを被った「天空の白鷺」が現れます。
ガイド:姫路城大手門と桜門橋
姫路城の大手門は、本来三重の城門からない、城内では最も格調高くかつ厳重な門でした。現在「大手門」と呼んでいる大型の高麗門は昭和13(1938)年に完成したもので、位置や大きさは江戸時代のものとは全く異なっています。また、大手門前の内堀には桜門橋という木造橋が架けられていました。今回復元した桜門橋は、発掘調査で出土した遺構を活かしながら、江戸時代の木橋をイメージして平成19(2007)年に築いたものです。(城内の案内板より)
ガイド:天空の白鷺
姫路城にご来城の方々に、工事期間中ならではの特別な視点で保存修理工事の現場を見学できる機会を提供し、文化財の保存と継承への理解を深めてもらうため、平成23年3月26日から素屋根内部に姫路城修理見学施設「天空の白鷺」を設けます。「天空の白鷺」からは通常は間近で見ることができない大天守の壁面の懸魚などの装飾や、実際の修復作業現場を見学いただける機会を設けるほか、大天守最上階6階からとほぼ同じ目線で眼下に広がる姫路城の縄張りや播磨地方の景観をご覧いただくことができます。(城内の案内板より)
現在姫路城は修復中のため、「天空の白鷺」と呼ばれる建物が天守閣を覆うように建てられているのですが、この修復期間に限り、その建物から作業の様子やてっぺんの大屋根などを間近で見ることができるのです。
カバーで隠れて本来の姫路城は拝めませんが、ある意味、今しか見られない貴重な姿といえるでしょう。
そこからしばらく行くと、チケット売り場があるのでそこで入場料(400円)を払い中へ入ります。
坂を上って最初に現れるのは「菱の門」という、姫路城内で一番大きな門で重要文化財に指定されています。
そこをくぐってさらに進むと、高い石垣の間に挟まれた細い道が続いています。
間近で石垣が見れるのですが、石と石の間に結構隙間があり、小さい石とかすぐに落ちてきそうな感じがする。
その先の「ぬの門」をくぐると、天空の白鷺が公開期間中のみ特別公開されているという「リの一渡櫓」がありました。
入り口の脇には、江戸、明治、昭和とその時代に大天守大屋根に乗っていた鯱瓦が展示され、中には昭和の大修理の際に発見された古瓦などが並べられています。
奥の部屋「チの櫓」にはライトアップされた甲冑がずらりと並び迫力。
ガイド:大天守の鯱(しゃち)
瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種で、鬼瓦と同様に守り神とされました。姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に上を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物を模しています。 (城内の案内板より)
- 江戸時代の鯱:三代目の姫路城大天守の鯱です。鯱の取り替えのとき、江戸期から城主とつながりのある圓教寺が城主から拝領し、大切に保管してきたものです。一代目、二代目は現存しないため、大天守の鯱としては最古のものです。銘文には1803(享和3)年製作と記されています。
- 明治時代の鯱:四代目の姫路城大天守の鯱です。昭和の大修理の際に、大天守の東側に上がっていたものです。全国的な傾向として江戸中期以降の鯱は耐久性に乏しいため、新しい鯱と入れ替えました。銘文には1910(明治43)年と記されています。
- 昭和時代の鯱:五代目の姫路城大天守の鯱です。昭和の大修理の際、大天守の三層の屋根に、1687(貞享4)年の銘のなる小型の鯱が発見されました。これが二代目と考えられ、大天守五層の大型の鯱のほか11の鯱がこれをもとに復元されました。
ガイド:甲冑
甲冑は武士が戦のときに身につけた防具です。鍛鉄、皮革、金工、漆工芸、組紐など、さまざまな分野の技術を駆使した彩り豊かで美しい日本の甲冑は、現在では歴史資料として、また美術品として珍重されています。
甲冑を展示しているこの建物は「チの櫓」です。(城内の案内板より)
外に出て、二の丸にあるお菊井を恐る恐る覗き込み、さらに雰囲気のある路地を進んでいきます。
こういうところを一人歩いていると、400年も前、この場所を同じように歩いていたであろうお殿様や侍たちの様子が頭に浮かびなんとも楽しい。
ガイド:お菊井
永正年間(1500年頃)、城主小寺則職の執権青山鉄山が主家横領を企てているのを、忠臣衣笠元信の妾(いいなずけ)で、青山家に住み込んでいたお菊が探知し、元信に知らせて城主の難を救いました。しかし、鉄山は浦上村宗等の加勢によって則職を追放し、一時主家を横領しました。
村宗等を招いた饗宴の際、お菊を恋慕していた町坪弾四郎は、家宝の十枚揃いの皿の一枚を隠し、お菊を責め殺し井戸に投げ込みました。
その後、毎夜この井戸から皿を数えるお菊の声が聞こえたということです。やがて、元信らが、鉄山一味を滅し、お菊は「於菊大明神」として、十二所神社の境内に祀られました。(城内の案内板より)
しかしそんな中、修復中なので仕方ないのですが、現代的なもの(フェンスとか足場とか)がちょいちょい目に入ってきて、その都度現実に引き戻されてしまいます。
上を見上げると、、圧倒される大きさです。
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