2013年9月5日木曜日

姫路旅行記#04-「天空の白鷺」で聞く姫路城小話(その一:桜井源兵衛の謎の死)

旅行期間:2013年8月29日~8月31日

2日目

「天空の白鷺」の入り口で200円のチケット買い、中へ入ります。
このときは、お客さんは私ひとりだけ。
混む時は入場制限がかけられると聞いていたので、ちょっと驚きでした。

当然、エレベーターも貸切り。
ここから一気に最上階へ上がるのですが、エレベーターの背面が透明になっているので姫路城を眺めながら上まで行くことができます。

■動画:「天空の白鷺」のエレベーターから



8階の最上階へ着くと何人かお客さんがいました。
開くのが9時からなので、早めに来たほうが空いていていいかもしれません。

ここからは姫路の町のパノラマと、大天守大屋根を間近で見ることができます。
作業風景を写したビデオも上映されていて、その素晴らしい技巧に思わず見入ってしまいました。






 

 

 


ここには、ボランティアガイドの人たちがいて、訪れた観光客に姫路城の案内をしてくれます。
私もいろいろ聞いてみたくて、手の空いた一人に声をかけてみるとあれこれと説明してくれたのですが、実はその方、外国人担当で、メモを片手に根掘り葉掘り質問する私に、

もっと詳しい方がいるので

と、ベテランのおじいちゃんガイドに引き継いでくれました。
いかにも「知ってそう」なガイドさんだったので、私の、

姫路城にまつわる面白い話を聞かせてください。

というアバウトな要望にも見事にこたえてくれて、歴史の教科書にはなかなか載っていなさそうな小話をたくさん教えてくれました。




これから、その時に聞いた「姫路城小話」をご紹介していこうと思います。


姫路城小話 その一:桜井源兵衛の謎の死

姫路城は、1601年から足かけ9年の歳月をかけて池田輝政が築城したものだが、実際にこの建設に携わった人は、大工の棟梁の桜井源兵衛をはじめとする2400万人もの人たち。

釘はほとんど使わず木を組んで建て、雷よけのために金属も全体で450トンほどしか使っていない。
設計図は1万枚を超えるほどだったが、源兵衛らの努力の甲斐ありその設計図通りに仕上がったという。

寝る間も惜しんでこの仕事に打ち込んできた源兵衛は、完成後、その仕事ぶりを奥さんにも見てもらおうと、できたばかりの大天守に連れてきた。
急な階段を登り大天守に立った妻は、源兵衛に一言こう言った。

この大天守、東南に少し傾いていませんか?

それを聞いた源兵衛は、そんなことあるかとその時は激怒して取り合わなかったが、やはり気になり後で調べてみると、実際に傾いていることが判明。
それに責任を感じた源兵衛は、自分のノミを口にくわえて大天守から飛び降りて死んでしまった。



しかし、時がたち、この話を現代の大工さんに話すと、それはありえないとの答えが返ってくる。
大工さん曰く、

建物はまっすぐに建てるより斜めに建てる方が難しい

とのこと。
ではなぜ、このような話が語り継がれてきたのか。

この謎から推測されるのが、実は源兵衛は、自殺ではなく殺されたのではないかという説。
棟梁だった源兵衛は、内部の構造を誰よりも熟知していた。
内部構造は当然極秘事項であり、これが外部に漏れればセキュリティ上重大な脅威となる。
それを恐れた上層部が密かに源兵衛を消し、公開情報として、「自らの失敗を悔やんだことによる自殺説」を捏造した。

さらに、当の源兵衛は、そうなることを予想しつつこの仕事を請けたのではないかともガイドさんは言う。
なぜなら、こんな大プロジェクトのリーダーとして見事に城を完成させれば、間違いなく歴史に名が残る。大工としてこんな名誉なことはないからだ。
源兵衛は自分の命をかけ姫路城の仕事に取り組んでいたのかもしれない。

そしてその思い通り、400年たった今でも「桜井源兵衛」の名は見事に語り継がれている。
=====




でももし、本当に源兵衛が殺されることを知っていたら、

どうせ死ぬなら誰かに殺される前に、潔く自の手で命を絶とう

と考え、失敗したからではなく、そういう理由で自殺した可能性もあるかも。
特にあの時代なら考えられなくもない・・とふと思いました。

今となっては真相は闇の中ですが、ガイドさん曰く、少しくらいわからないことがあるほうが面白いと言っていました。


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