2015年10月1日木曜日

日本三名園「偕楽園」と千波湖散策#06-偕楽園(好文亭の楽寿楼)

一階をひと周りした後は、急な階段を上り楽寿楼へ。

 

 


廊下を抜けると見事な絶景が広がりました。

楽寿楼(らくじゅろう)
三階を楽寿楼と称します。部屋は三室あり、南に面した八畳が正室で烈公が御出座されたところであり、東南西方の勾欄に寄って四辺を眺めるご遠近山河の景がここに集まる趣です。
竹の床柱は鹿児島市長から寄贈されたもので、西側の丸窓は富士見窓で烈公が作った陣太鼓の余材を用いたものです。
楽寿楼とは「論語」の
知者は水を楽しみ 仁者は山を楽しむ
知者は動き 仁者は静かなり
知者は楽しみ 仁者は寿く
すなわち、楽は水を表し、寿は山を表しているので、楽寿楼とは山と水の眺め双方を兼ねた山水双宜の楼を意味しています。(案内版より)






















そして、急な階段を上らなければならない楽寿楼には面白いものもありました。

お膳運搬装置
お膳を運ぶのに階段を上下しなくてもすむように、この装置が利用されていました。今日のエレベーターの先駆ともいうべきもので、烈公の創意によるものと伝えられています。(案内板より)




再び階段を下り外へ出ます。

 


玄関の前方に「待合」と書かれた看板があったので垣根の間を進んでみると、休憩所と、その奥に茶室がありました。

何陋庵(かろうあん)
簡素な草庵風の茶室で、何陋庵といいます。この床柱は、つつじの古木で鹿児島県屋久島の産です。
この庵の名称は「論語」にあることばをとったもので、孔子の住居がいかにも狭苦しいのを弟子が見てそのことを申したところ、孔子は
君子居之何陋之有(君子が中に居るのだ何でむさいことがあろうか)
といわれたということからきています。(案内板より)



 

 

 




好文亭の楽寿楼からは本当に眺めがいいので、偕楽園に来たらぜひ訪れたい場所です。


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