旅行期間:2015年7月
3日目
ブラナの塔のあとは、満開のヒマワリ畑を通り世界遺産アクベシムへ。
=====ガイド=====
アクベシムはトクマクの町の跡地。だいぶ前に滅びたため今は風化してほとんど何も残っていない。
アクベシム(当時はスイアーブ(砕葉城))ができたのは、5~6世紀。スイアーブというのは、「チュー川の隣に位置している町」という意味だが、実際は川は流れていない。しかし、昔はチュー川の隣まで広がっていたのではないかと言っている科学者もいる。
6世紀には西突厥という国ができて、スイアーブには突厥とイラン系ソグド人が仲良く住んでいた。いろいろな物が売られとても栄えていて、入るのには今でいうビザが必要で高いお金を払わなければならなかった。
627年、玄奘三蔵が中国領から通った時、西突厥の王様はとても気に入ってここに住みなさいと提案した。さらに、ここを通るときのビザも必要ないのでいつでも好きな時に来てくださいと言った。
玄奘三蔵がイシククルからこの町を通ってインドへ行ったということは、この地域では大きな役割を果たした。なぜかというと、玄奘三蔵によって仏教が教えられたから。
昨日行った博物館に展示されていた資料で想像はできたと思うが、当時は、仏教の寺、教会、モスクもあった。でも今はほとんど何もないので想像力が必要。
================
バスを下りる前に再び当時の様子を確認しその姿を心に刻みます。
強烈な太陽の日差しを受けながら、一見したところなんにもない荒野を歩いていきます。
さらにあぜ道のようなところを進んでいきますが、やっぱりなんにも見えません。
そして、そのあぜ道を少し下り地面に凸凹のあるところへやってくると、ここがアクベシムとのこと。
私が持っているありったけの想像力を総動員してみましたが、この場所に、先ほど見た当時の建物を思い浮かべるのは難しい・・。
さらに、遺跡を歩いているとポロポロと土が崩れるので、そのうちもっと何もなくなってしまうのではないかと心配になります。
ウズベキスタンのキジルクム砂漠にあるトプラクカラも似たような感じで「え~」と思ったのですが、あっちのほうがまだ人工的な建造物の跡が感じられた遺跡だったな~とふと思い出しました。
↓この記事がお気に召したらソーシャルで共有してくれると嬉しいです↓
(ボタンは記事の一番下)
0 件のコメント:
コメントを投稿