2014年2月11日火曜日

上野恩賜公園散策と国立科学博物館見学#03-重要文化財の上野東照宮

鳥居を出てさらに歩いていくと、チベット圏でよく見た仏塔のようなものを発見。

大佛パゴダ
寛永八年(1631年)に堀丹後守直寄公が釈迦如来尊像を当山に建立せられ、1660年頃青銅の大仏に改鋳された。
大正十二年、大震災で破損のため撤去する。(案内板より)

 





次から次へといろいろなものが出てきてかなり楽しい。
東京に暮らしていても、こんなにあちこち上野公園を歩いたことがなかったので、今回は新しい発見がいっぱいです。

パゴダがある小山を下りて、「冬ぼたんが見ごろ」という案内に導かれ上野東照宮へ向かいます。
門をくぐると燈籠が立ち並ぶまっすぐな参道が伸び、脇には五重塔が見えました。
冬ぼたんは、「ぼたん苑」で観れるらしいのですが、別料金だったのでスルー。

冬ぼたん
昔、寒ぼたんは正月に縁起ものの飾り花として使われていました。
しかし生育が弱く今では「葉ボタン」がその主流となっております。
牡丹は普通、春(四月中旬~五月中旬)に豪華絢爛な花をつけますが、当宮では牡丹の持つ特質を活し寒中の花として「冬ぼたん」を開花させました。
雪のちらつく寒空に国宝東照宮金色殿、五重塔を背景とした雪除けの「ワラ囲い」の中でひっそりと咲くその姿は、みる人々の心をなごませてくれることでしょう。
冬牡丹咲きし証しの紅散らす 安住 敦
振り向きし人の襟足冬牡丹 松崎鉄之助
ひらく芯より紅きざし冬牡丹 鷹羽狩行
唐国へ通ふ心や冬牡丹 古賀まり子(案内板より)



 

 




参道を進んでいくと、金色に輝く東照宮の唐門に到着。日光の東照宮を彷彿とさせます。

東照宮
元和二年二月、見舞いのため駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に招かれ三人一処に末永く魂鎮まるところを造って欲しいと遺言された。そこで高虎の家敷地であるこの上野の山に寛永四年(1627年)に本宮を造営した。その後将軍家光はこの建物に満足出来ず、慶安四年現在の社殿を造営替えし、江戸の象徴とした。(案内板より)

唐門(唐破風造り四脚門)
日本には一つしかない金箔の唐門である。扉には梅に亀甲の透彫、門柱には左甚五郎作昇竜(右)降龍の高彫、門の側面左右上部の松竹梅に錦鶏鳥の透彫など非常に精巧を極めたものである。
昭和二十五年国重要文化財指定 唐門・社殿、透塀・大石鳥居(案内板より)

銅燈籠
東照宮社殿唐門前と参道に、五十基の銅燈籠が並んでいる。
燈籠は神事・法会を執行するときの浄火を目的とするもの。照明道具ではない。浄火は神事・仏事に使う清めた火。燈籠は上部から、宝珠・笠・火袋・中台・竿・基壇で構成されている。火袋は、八角・六角・四角などの形式に分かれ、各面には火口・円窓という窓を設けている。火袋下部の長い部分を竿といい、ここに銘文を刻みこむことが多い。
これらの銅燈籠は、諸国の大名が東照大権現霊前に奉納したもの。竿の部分には、寄進した大名の姓名と官職名・奉納年月日等が刻字されている。それによると、伊勢国(現三重県)津藩主堂高虎奉献の寛永五年(1628)銘一基をはじめ、慶安四年(1651)正月十七日奉献二基、同年四月十七日奉献四十五基、同五年孟夏十七日奉献二基となっている。慶安四年十七日は東照宮社殿落慶の日。その日の奉献数が最も多い。これら銅燈籠は、東照宮社殿とともに一括して、国の重要文化財に指定されている。(案内板より)

 

 














この精巧な造りと美しさにしばしうっとり。
平日だったせいか、観光客も少なくてゆっくり見られるのもいいです。


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