旅行期間:2013年9月29日~10月8日
3日目
ほどなく最初の休憩地、テキルダーに到着。
まわりには何もない小さなドライブインです。
トイレの入り口で1リラ支払い中へ入ると、さすが有料だけあって紙もちゃんとあり綺麗。
これならトイレが心配という人でも大丈夫でしょう。
その後、併設されているカフェでチャイを飲んでみました。
荒っぽい入れ方ですが熱々で美味しい。
曇って寒いくらいなのであったかい飲み物がありがたいです。
休憩後、さらに2時間弱走ってフェリー乗り場に到着。
バスごと乗り込み、船内で下車。
デッキに上がってみると、これから行く対岸がすでに見えていました。
景色が良く見える外にいましたがすごい風。
髪の毛をボサボサにされながらも短い時間だったので結局ずっとデッキにいました。
到着の少し前にバスに戻り、そのまま下船します。
=====ガイド=====
これから40分ほど走ってレストラン、その後トロイ遺跡を観光する。
遺跡の観光後1時間くらい走るとオリンポス山が見えてくる。
この山はギリシャ神話に出てくるが、ギリシャではなくトルコの西海岸にある。
みなさんが知っているギリシャ神話のほとんどが、トルコの西海岸で生まれた物語。
トロイの遺跡は別々の年代が9層になって重なっている。
一番下から5層までは今から5千年前の青銅器時代のもの。
トロイの町は、1671年(日本だと明治3年)に、ドイツ人のシュリーマンによって発見され発掘された。
彼は、イーリアスの伝説を読んで、ここまで宝石を探しに来た。
プリアモス大王の黄金の王冠や仮面などの素晴らしい宝石。
トルコと南アフリカだけで95%プラチナが採れたが、それを探していた。金より高い。
彼は2年間発掘して、1873年7月6日、プリアモスの財宝を無許可でギリシャ経由でドイツに持ち出した。
そのころはちょうどトルコの衰退期で、この辺りは羊飼いばかりだったため、誰も何も言わなかった。
そのため、彼のような人が世界中から来てトルコから好きなものを持って行った。
第二次世界大戦の後、それらの宝石はドイツからロシアに行ってしまった。
そのため、今ではロシアのモスクワにある歴史博物館に展示されている。
また、大英博物館にあるものの61%はトルコから持ち出したもの。残りはエジプトからのものもある。
シュリーマンが影響された「イーリアス」はホメロスが書いた。
彼は、紀元前8世紀にイズミールで生まれた。
木馬の話はイーリアスには載っておらず、「オデュッセイア」の伝説に載っている。
その伝説によると、プリアモス大王は、将来息子のペレが町を滅ぼすと聞いて森の妖精たちに預けた。
ちょうどそのころ、オリンポス山のひとつで結婚式をやっていた。
その結婚式には神様が集まっていたが、一人だけ呼ばれなかった神がいる。
それは女神エリスで、怒った彼女は結婚式にりんごを投げ込んだ。
その林檎には「カリステ(一番きれいな女性へ)」と書いてあった。
りんごは転がり、三人の女神たちの前で止まった。
その女神たちとは、アティーナ、ヴィーナス、ヘラでとても美しい女神だった。
彼女たちは、そのりんごをオリンポス山で一番偉いゼウスのもとへ持って行った。
そして誰が一番美人か決めてくださいと言った。
しかしゼウスは何も答えず、今では羊飼いをしているトロイの王子パリスに選ばせることにした。
女神たちは、それぞれ一人ずつパリスと話し、ひとつのことを提案した。
まずヘラは、もし林檎をくれたらアジアサイドの王にすると言った。
しかしパリスは、今はそういう生活を捨てて平和に暮らしているのでいらないと言った。
次にアティーナは、もし林檎をくれたら生涯、勝利と知恵を授けると言った。
これもいらないと断った。
最後にヴィーナスは、もし林檎をくれたら世界で一番美しい女性と結婚させようと言った。
パリスはこれを受け林檎をヴィーナスに渡した。
この世界で一番美しい女性というのは、ギリシャの皇帝メネラオスの妃ヘレナだった。
そのため、ギリシャ軍とトロイ軍が戦うことになってしまった。
しかし、チャナッカレで10年間戦ったがなかなか決着がつかなかった。
するとギリシャ軍が、もう終わりにしようとトロイに木馬を贈ってきた。
トロイ軍は夜、城内にその木馬を入れた。するとその中から兵隊が出てきてトロイの町を攻めた。
しかしこの木馬の話は伝説で、その戦争の本当の理由はチャナッカレ海峡を渡ることだった。
この海峡を渡れば、マルマラ海を経てイスタンブールのボスポラス海峡、黒海、ロシアまで行くことができる。
第一次世界大戦もこの海峡のために起こった戦争。
現在これらはみなトルコのもので、各ポイントで軍の基地があり誰も勝手に入ることはできない。
チャナッカレ海峡ではいつも戦争をやっていた。
これからそのトロイ遺跡に行くが、そんなに期待するほどのものはない。
すごく古くて、神殿のような遺跡は明日行くエフェソスあたりから出てくる。
神様の名前は時代によって違う。
古代ギリシャ時代にはゼウス、ローマ時代にはジュピター(日本語では木星だがゼウスという意味)に変わる。
その後マーズ(日本語では火星)。火星は古代ギリシャ神話の戦争の神様という意味。
ネプチューン(海王星:海の神様)、ウラヌス(天王星:天の神)、マーキュリー(水星:商売の神)など。
チャナッカレ海峡の方からずっと西海岸、地中海も入れて、トルコには3092の遺跡がある。
トルコ人が初めてここに来たのは11世紀の1071年でサルジュークトルコ、その前はずっとギリシャ文化だった。
そのため、みなさんが勉強したギリシャ文化やギリシャ神話はみんなここであった物語。
チャナッカレ海峡の一番狭い場所は1370m、さっき船で7km渡った。
これからイスタンブールに再び戻るまで、ずっとアジアサイド(アナトリア半島)を周る。
チャナッカレの町は人口が10万人。
「3月18日大学」がある。3月18日は戦争が始まった日。
向かいの海岸には兵隊の絵が描かれた山がある。そこでアタテュルクが戦争に入った。イギリス、フランス、ギリシャなどの軍がいた。
羊がたくさんいるが、これからカッパドキアの方に行くとたくさん見られるようになる。
このあたりは、モモと林檎の生産地。林檎は日本の姫リンゴのような有機栽培のもの。
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