2013年12月9日月曜日

トルコ旅行記#24-日本とトルコの絆物語(エルトゥールル号遭難/トルコ航空での日本人救出)

旅行期間:2013年9月29日~10月8日

5日目

今日も移動が長いので、バスの中ではいろいろな話が聞けました。
有名な「エルトゥールル号遭難事件」や「イラン・イラク戦争でのトルコ航空による日本人救出」など、日本とトルコの関係に纏わる話は何度聞いても感動します。

↓エルトゥールル号


=====ガイド=====
日本とトルコの仲は世界で一番いい。
日露戦争の経緯もあるが、昔、和歌山県の串本町沖でトルコのエルトゥールル号が遭難したのがきっかけ。

トルコの人はそのことを学校で勉強している。
私は、小学校二年生のときに勉強した。それで日本に興味をもっていろいろな映画を観て日本にも行った。

オスマントルコ時代、日本では明治23年、トルコの王様は明治天皇にたくさんの贈り物を贈った。その贈り物を乗せた軍艦は、スルタンのプレゼントを天皇に渡した後、和歌山県の串本町沖で沈没した。そのとき、たくさんの海軍が亡くなったが、明治天皇をはじめ、日本国民はたくさんの援助をした。

またその後、今度はトルコが日本人を助ける出来事が起きた。
イラン・イラク戦争でテヘランにとり残された日本人をトルコ航空を飛ばして脱出させた。

ここで、エルトゥールル号遭難の話を紹介する。


*****

エルトゥールル号の遭難


和歌山県の南端に大島がある。その島の東には灯台がある。石造りでは日本でいちばん古い。明治3年にできた樫野崎灯台。今も断崖の上に建っている。

びゅわーんびゅわーん、猛烈な風が灯台を打つ。どどーんどどーん、波が激しく断崖を打つ。台風が大島を襲った。明治23年9月16日の夜であった。

午後9時ごろ、どかーんと、風と波をつんざいて、真っ暗な海のほうから音がした。灯台守は、はっきりとその爆発音を聞いた。

「何か大変なことが起こらなければいいが・・」

灯台守は胸騒ぎがした。しかし、風と、岩に打ちつける波の音以外は、もう、何も聞こえなかった。
このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、灯台のほうに押し流されてきた。全長76メートルもある船。
しかし、まるで板切れのように、風と波のカでどんどん近づいてくる。

「あぶない!」

灯台の断崖の下は「魔の船甲羅」と呼ばれていて、海面には、岩がにょきにょき出ている。
ぐわーん、ばりぱり、ばりばりばり。船は真っ二つに裂けた。その瞬間、エンジンに海水が入り、大爆発が起きた。この爆発音を灯台守が聞いたのだった。

乗組員は海に放り出され、波にさらわれた。またある者は自ら脱出した。
真っ暗な荒れ狂う海。どうすることもできない。波に運ばれるままだった。そして、岩にたたきつけられた。

一人の水兵が、海に放り出された。大波にさらわれて、岩にぶつかった。意識を失い、岩場に打ち上げられた。

「息子よ、起きなさい」

懐かしい母が耳元で囁いているようだった。

「お母さん」

という自分の声で意識がもどった。真っ暗な中で、灯台の光が見えた。

「あそこに行けば、人がいるに違いない」

そう思うと、急にカが湧いてきた。40メートルほどの崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着いたのだった。

灯台守はこの人を見て驚いた。服がもぎ取られ、ほとんど裸同然であった。顔から血が流れ、全身は傷だらけ、ところどころ真っ黒にはれあがっていた。
灯台守は、この人が海で遭難したことはすぐわかった。

この台風の中、岩にぶち当たって、よく助かったものだと感嘆した。

「あなたのお国はどこですか?」
「・・・・・」

言葉が通じなかった。
それで「万国信号書」を見せて、初めてこの人はトルコ人であること、船はトルコ軍艦であることを知った。また、身振りで、多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。

「この乗組員たちを救うには人手が要る」

傷ついた水兵に応急手当てをしながら、灯台守はそう考えた。

「樫野の人たちに知らせよう」

灯台からいちばん近い、樫野の村に向かって駆けだした。電灯もない真っ暗な夜道。人が一人やっと通れる道。灯台守は樫野の人たちに急を告げた。

灯台に戻ると、10人ほどのトルコ人がいた。全員傷だらけであった。助けを求めて、みんな崖をよじ登ってきたのだった。
この当時、樫野には50軒ばかりの家があった。船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは、総出で岩場の海岸に下りた。

だんだん空が白んでくると、海面にはおびただしい船の破片と遺体が見えた。目をそむけたくなる光景であった。
村の男たちは泣いた。遠い外国から来て、日本で死んでいく。男たちは胸が張り裂けそうになった。

「一人でも多く救ってあげたい」

しかし、大多数は動かなかった。一人の男が叫ぶ。

「息があるぞ!」

だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。村の男たちは、自分たちも裸になって、乗組員を抱き起こした。自分の体温で彼らを温めはじめた。

「死ぬな!」
「元気を出せ!」
「生きるんだ!」

村の男たちは、我を忘れて温めていた。次々に乗組員の意識がもどった。船に乗っていた人は600人余り。そして、助かった人は69名。
この船の名はエルトゥールル号である。

助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。
当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。井戸もなく、水は雨水を利用していた。
サツマイモやみかんがとれた。漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。
ただ各家庭では、にわとりを飼っていて、非常食として備えていた。

このような村落に、69名もの外国人が収容されたのだ。
島の人たちは、生まれて初めて見る外国人を、どんなことをしても、助けてあげたかった。だが、どんどん蓄えが無くなっていく。ついに食料が尽きた。台風で漁ができなかったからである。

「もう食べさせてあげる物がない」
「どうしよう」

一人の婦人が言った。

「にわとりが残っている」
「でも、これを食べてしまったら・・」
「お天とうさまが、守ってくださるよ」

女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理して、トルコの人に食べさせた。
こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁重に葬った。

このエルトゥールル号遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして明治天皇に報告された。
明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、トルコに送還された。
このことは、日本じゅうに大きな衝撃を与えた。日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。

後日、次のような物語がある。

イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。イラクのサダム・フセインが、「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と、無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。

日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。
その日本人たちは、あわててテヘラン空港へ向かった。しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。
世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。日本政府は素早い決定ができなかった。空港にいた日本人はパニック状態になっていた。

そこに、2機の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機であった。
日本人215人全員を乗せて、成田に向けて飛び立った。タイムリミットの1時間15分前のことである。
なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。

前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。
「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子供たちでさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」

文:のぷひろ としもり

*****

そして、現在串本町には、トルコ軍艦遭難碑や慰霊碑、トルコ記念館が建って、5年に一度トルコ大使館と共催で行われる「エルトゥールル号殉難者慰霊祭」では、トルコ大使、トルコ海軍代表、日本トルコ両国に関係するほとんどの団体の代表者が参加している。

日本とトルコの友好関係は本件により高まり、その後、共通の敵であるロシアとの間で行われた日露戦争の勝利をもっとも喜んだのもトルコだった。
日本海海戦の名将「東郷」にちなんで、トーゴーという名前もトルコでは多くつけられている。

さらに、サッカーワールドカップでは、トルコ代表がユニフォームを串本町に寄贈したという話もある。

25年前にイスタンブールのボスポラス海峡では、黒海の玄関口で日本の建設会社が海峡の第二橋をつくった。その建設は、世界中の建設会社が手掛けたかったが、トルコは日本の会社を選んだ。
また最近、イスタンブールのヨーロッパサイドとアジアサイドの間のマルマラ海に大成建設が海底トンネルをつくっている。

さらにトルコには世界で二番目に大きなトヨタの工場もある。
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↓エルトゥールル号殉難将士慰霊碑


↓乗組員たち


なんだか遠い昔の出来事が、今でもトルコの人たちの間で語り継がれているというのはうれしい限りです。
世界中には日本人の先人が築いてきたこのような話がたくさんありますが、そういった人たちの功績や努力を無駄にしないようにしないとな~と改めて思いました。

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