※円覚寺(前半)はこちら
方丈を出てさらに奥へと進みます。妙香池を通り過ぎ、左へ行くと国宝の舎利殿があります。
舎利殿(国宝)
円覚寺の舎利殿には「佛牙舎利」と尊崇されるお釈迦様の歯牙をおまつりしております。
その由来は将軍源実朝公が宋の時代、中国能仁寺から請来したものです。この舎利殿は鎌倉にあった太平寺(尼寺・廃寺)の佛殿(鎌倉時代末~室町初期に再建)を移築したもので、中国、南宋時代の建築様式に学んだ禅宗様建築の代表的な遺構です。関東大震災に倒壊しましたが、昭和四年に復元しました。
内部正面に佛舎利をおまつりする宮殿が安置され、その前に鎌倉彫りの須弥壇があり、観音菩薩と地蔵菩薩がまつられています。隣は円覚寺派の厳格なる修行道場となっており、円覚寺開山 無学祖元禅師をおまつりした開山堂とともに円覚寺随一の幽邃の地となっています。
正月の三が日、五月の連休日と十一月の宝物風入などの特別期間以外は修行の為、拝観を制限させて頂いております。(案内板より)
ちょっと道を戻り白壁の路地を通っていくと、途中に、お茶がいただける佛日庵があります。
そこからさらに進むと、境内の一番奥にある黄梅院へたどり着きます。
黄梅院
北条時宗公の夫人、覚山尼が時宗公追善の為に建立した華厳塔の敷地に円覚寺第15世夢窓国師の塔所として建てられ、国師の門弟方外宏遠が文和三年(1354)に開創した。
後の応安元年(1368)、室町幕府二代将軍足利義詮の遺骨が分骨され足利家の菩提所としての性格を帯びている。山号は「伝衣山」。本堂には、本尊「千手観音菩薩坐像」の他に「夢窓国師坐像」、室町期のものとされる銅像「千手観音菩薩立像」、木造「聖観世音菩薩立像」がまつられている。(案内板より)
続いて、入ってきた山門近くまで戻り、境内の高台にある弁天堂へ向かいます。
鳥居をくぐってけっこうな石段を上った先に、お堂と鐘、お休み処があります。麓の景色を眺めながら休憩できるお休み処では、アイスクリームや飲み物のほか、弁天堂の御朱印も入手することができます。弁天堂の御朱印はここまで来ないともらえません。
弁天堂
執権北条貞時(時宗の子)が7日7夜江の島弁才天に参籠し天下泰平、万民和楽を祈り霊夢を感じて大鐘を鋳造(正安3年、1301年)し、当山に奉納した。あわせて弁天堂を建立し、弁才天を祀り当山の鎮守とした。以来霊験あらたかにして祈願すれば必ず感応を蒙むといわれて来た。又、この境地は眺望絶佳にして遠く富士山をも望むことが出来、多くの人々より賞賛されてきた。
因に当弁才天の祭礼は11月28日である。又、60年毎の己の年に大祭を行い、江の島弁才天と当山との間で盛大にとり行なわれる。(案内板より)
洪鐘(国宝)
正安三年(1301年)に鋳造された国宝の洪鐘です。北條時宗公の子、貞時公が国家安泰を祈願して鐘の鋳造を鋳物師に命じましたが、鋳造がうまくゆかず、江ノ島の弁天さまに七日間参詣したところ、ある夜の夢の中で円覚寺の白鷺池の底を掘ってみよというお告げがあり、その通りにしてみると池の底より龍頭形の金銅の塊を発見、それを鋳造してこの洪鐘を造ったといわれています。
この霊験に感激された貞時公は江ノ島の弁天さまを洪鐘の神体として「洪鐘大弁才功徳尊天」と名づけて弁天堂を建立されました。(案内板より)
円覚寺は、駅からも近く由緒あるお寺のためたくさんの人が訪れていますが、敷地が広大なためゆったり過ごせます。
鎌倉に着いたらひとまずここで落ち着いて、ハイキングをスタートするのもいいですね。
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