たくさんの人が行き交う総門から境内へ入っていくと、立派な山門が現れました。
それでは山門から主な見どころを順にご紹介していきましょう。
山門(三問):県重要文化財
山門は三解脱(空・無相・無願)を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払う門とされます。山門を通って娑婆世界を断ち切り、清浄な気持ちで佛殿の本尊さまをお参りしなければならないとされます。
現在の山門は1785年(天明五年)開山五百年遠諱の年に大用国師(誠拙周樗)によって再建され、「円覚興聖禅寺」の扁額は伏見上皇(北条貞時の時代)より賜りました。楼上に十一面観音像・十二神将・十六羅漢をおまつりしてあり、毎年6月18日に楼上で観音懴法(観音さまに懺悔をする儀式)が行われます。また毎年8月には山門を取り巻いての盆踊りがにぎやかに行われます。(案内板より)
仏殿
円覚寺の本尊さまをおまつりしてある建物で、関東大震災で倒壊しましたが、昭和39年に再建されました。本尊さまは冠を被っておられるので、宝冠釈迦如来とよばれます。華厳の盧遮那仏とも称されます。本尊さまは1282年(弘安五年)佛殿開堂の際に安座されましたが、1563年(永禄六年)の大火で焼失、お顔のみが救出されました。後に江戸時代、天甫昌円によって1625年(寛永二年)佛殿が再建される際に体部が補造されました。その時、本尊さまの両脇に梵天、帝釈天がまつられました。「大光明寶殿」の扁額は1378年、後光厳天皇より賜りました。開山毎歳忌、達磨忌、臨済忌、祝聖などの諷経や毎朝の暁天坐禅がここで行われています。(案内板より)
仏殿の天井には、前田青邨監修、守屋多々志揮毫の「白龍図」が描かれています。
選仏場
選仏場とは、仏を選び出すという意味で、修行僧の坐禅道場のことです。創建時代の坐禅道場は建武二年の境内絵図に山門と佛殿の間の左側に裳階つきの大建築として描かれていますが、永禄六年十二月の大火で焼失してしまいました。
元禄十二年(1699)、伊勢長島城主松平忠充が江戸の月桂寺、徳雲寺住職一睡碩秀の薦めにより、円覚寺に大蔵経を寄付され、同じ位置に経典を収蔵する蔵殿と坐禅道場を兼ねた現在の選佛場が建立されました。
その後坐禅道場は正続院に移り、現在の選佛場には、南北朝時代の薬師如来が中央に祀られています。年二回地元の薬師講衆が参詣し、ご祈祷が行われ、また平成十五年より円覚寺百観音霊場の一番として、大慈大悲観世音菩薩が安置されています。(案内板より)
居士林
在家修行者のための専門道場です。「居士」とは一般在家の禅の修行者を指します。広く一般の方に向けて各種坐禅会が催されています。(パンフレットより)
境内にはこの時期らしくあちこちに紫陽花が咲いていてとても綺麗です。
方丈
本来は住職の居間ですが、現在は各種法要、坐禅会や説教、夏期講座などの講習会や秋の宝物風入など、多目的に使われています。(パンフレットより)
方丈には一般の参拝者でも上がることができ、美しい庭を見ながら休憩することができます。
百観音霊場
百観音霊場の由来は、養老二年(718)徳道上人が開設した西国三十三観音霊場と、鎌倉時代、観音信仰に篤かった源頼朝が開いた坂東三十三観音霊場と、その後にできた秩父三十四観音霊場の総称とされています。円覚寺方丈前の百観音は江戸時代、拙叟尊者が百体の石仏を岩窟に泰案したことが由緒となり、明治に至って今北洪川老師が整備されました。
円覚寺の百観音を結願所として円覚派の寺院に百観音巡礼の札所が開設されました。
昔は、霊場に写経を納め、その際に納経印をいただいていましたが、それが現在の御納経帳または御朱印帳に変わったものとされています。行く先々の霊場で観音さまの由来を知り、観音さまのご利益にあずかり、観音さまを念じながらお参りされると、心が清浄になり安心を得られることと思います。(案内板より)
柏槇(ビャクシン):市指定天然記念物
向かいの大木は円覚寺開山、無学祖元禅師により植えられたとの言い伝えから、七百年以上の樹齢だと言われております。幹の中心に樹木医による治療跡が見ることができます。開山様との御縁で平成二十四年に京都、南禅寺に若木が移植されました。(案内板より)
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