2021年12月5日日曜日

コーカサス旅行記#58-伝説が残るノラドーズのお墓

旅行時期:2018年10月

8日目

バリルイス!
バスが出発すると、ドライバーさんから「おはよう」の挨拶。
「バリ」は「優しい」、「ルイス」は「光」という意味で、バリルイスは「これから優しい一日になるように」と言う、とっても素敵な朝の挨拶となっています。

今日はこれから、アルメニアの首都エレヴァンまで移動。直行すると1時間もかからない距離ですが、途中でいろいろ観光しながら進んで行きます。
まずは、ガバル町のノラドーズ村にあるお墓へ。

=====ガイド=====
ここにあるアルメニアスタイルの墓は9~13世紀のもので、それよりも新しいロシアのお墓も見ることができる。十字架の形(ハチカル)をしたものがアルメニアのスタイルで、ここには900ほどある。ロシアのお墓は石だけで、名前や顔などが彫ってある。

13世紀にモンゴル人が攻めてきたときに、このお墓に軍服を着せたくさん軍人がいると見せかけて、モンゴル人を撃退したという伝説がある。
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2021年11月28日日曜日

コーカサス旅行記#57-アルメニアの紅葉とホテルの朝食

旅行時期:2018年10月

8日目

朝起きてさっそく外を見ると、朝日に照らされる絶景が広がっていました。まわりの樹々が紅葉で色づいていてとっても綺麗です。
昨夜、遠くに街の灯りが見えたところは雲海に覆われていました。

2021年10月30日土曜日

コーカサス旅行記#56-アルメニアのリゾートホテル「MULTI REST HOUSE」に宿泊

旅行時期:2018年10月

7日目

セヴァン湖を後にし、今日のホテル「MULTI REST HOUSE」へ。湖からは車で30分ほどの場所にあるリゾートホテルです。

2021年9月23日木曜日

コーカサス旅行記#55-アルメニアの真珠「セヴァン湖」と「セヴァン修道院」

旅行時期:2018年10月

7日目

山道をしばらく走ると、セヴァン湖と丘の上に建つセヴァン修道院が見えてきました。

=====ガイド=====
ここはゲガルクニク県でアルメニアで一番大きく、寒い場所。冬になるとマイナス30度くらいになる。夏は22~23度。

ここにあるセヴァン湖は、標高1900mの高所にあり、日本の琵琶湖の60%くらいの大きさで、深さは99m、幅は72㎞。この湖は淡水湖で、飲み水としても利用されている。28の川が流れ込んでいて、一つの川から出ている。マスが採れてとても美味しい。
1928年まで、深さは125mだったが、水力発電のために湖に流れ込んでいる川のひとつに設備を建設したら、水深が浅くなった。

これから行くセヴァン修道院のある場所は、1928年までは島だったが、水力発電所ができて水位が下がり半島になった。
セヴァン湖は、西アルメニアにあるヴァン湖の名前で呼ばれていたが、黒っぽい色なので「黒いヴァン」という意味の「セヴァン」と呼ばれるようになった。

セヴァン修道院は9世紀のもの。240段の階段を登ると二つの教会(聖母教会と聖使徒教会)がある。地震で何度も倒れ、何度も修復されたので世界遺産にはならなかった。でも修復には9世紀の石を使った。

9世紀はバグラトゥニ時代で、アショト王の妹マリアンヌがセヴァン湖の横に30の教会を作った。なぜ30なのかは、マリアンヌの夫が30歳で亡くなったため。

修道院ではアラビア人との戦争があったが、アルメニア人は簡単に勝つことができた。アルメニアの軍人は200人だったが、200の船に乗って、木で軍人の姿を作って船にのせた。アラビア人はこれを見て大規模な軍隊だと思った。

湖の向こうには3000m級の山があるゲラマ山脈があり、それを越えるとアゼルバイジャンになる。
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2021年8月1日日曜日

コーカサス旅行記#54-アルメニアあれこれ話

旅行時期:2018年10月

7日目



次の目的地セヴァン湖までの移動の間、アルメニアについて色々な話をしてくれました。

=====ガイド=====
アルメニアの旗の色は、赤、青、オレンジで、1918年につくった。
1911年から1918年までロシアの中にいたが、1915年にオスマントルコが西アルメニアで100万人のアルメニア人を虐殺し政略した。
その後、東アルメニアに侵攻してきたが、この時はアルメニアが勝った。それでロシアから離れて、1918年に独立し旗をつくった。
赤は、これまでに流れたアルメニア人の血、青色は平和、オレンジは仕事の意味。



軍隊のシンボルは、ライオンと鷲。
アルメニアにはライオンはいないが、紀元前9世紀からアルメニアは王国で、この時代では一番強い王国だった。なので動物の王者ライオンをシンボルとした。また鷲は空で一番強いからこれもシンボルになった。

その他に、ザクロ、ブドウ、アンズもアルメニア人のシンボルになっている。ザクロは「豊か」の意味、ブドウはキリストの血の意味で教会でよく見る。アンズはノアの箱舟からアルメニアに下りてきたハイクのシンボル。

アルメニアでは、軍隊が一番大事。ずっと昔からあって、故郷を守るために必要だった。
現在は、男性は18歳から2年間必ず軍隊に入隊する。行かなくていいのは、病人と神父さんだけ。2年の間は、1回だけ10日間家に戻ることができる。携帯電話も使えない。
大学に行く人は、入隊前に大学に入学しそのまま軍隊に入隊し、兵役が終わったらまた大学1年生として戻る。

軍人になると、いろいろな割引などを受けることができ、バス代や医療費などが無料になったり、その家族も30%オフになったりする。

アルメニアの学校は小学校(4年間)、中学校(5年間)、高校(3年間)の全部で12年間。
2010年までは10年間ですべて同じ学校で授業を受けていた。しかし今は、小学校と中学校は同じ学校だが、高校は自分で選べるようになっている。
小学校から中学校、中学校から高校に上がるためにも試験があり、落ちたら小学校や中学校に戻るシステムだが、今のところ戻った人はいないらしい。

アルメニアで一番有名な大学は国立大学と医学大学で、人気があるのが建築大学。
夏休みは約3か月で冬休みは1か月くらい。小学校では春と秋休みもあり、1週間ほどの期間。春と秋は自分の家の農業を手伝うために、学校に行かなかったから休みになった。

アルメニアの結婚は、女性が26か27歳、男性は30歳までにする。以前はもっと早かった。理由は戦争で、外国人と自分の娘が結婚させられないように、18世紀ごろには14歳ごろまでに結婚した。
しかし、オスマントルコ人は農業が盛んなアルメニアで暮らしたかったので、アルメニア人の女性と結婚した。そのため、トルコ人とアルメニア人の顔とか文化がとてもよく似ている。
アルメニア人の平均寿命は、男性は70歳、女性は73歳で、やっぱり女性の方が長い。今は、だいたい3人くらいの子供を産む。

給料は月給7万ドラム(150ドル)くらい。医者とか警察官、弁護士、建築家は給料が高い。
多くの人は給料は安いが、家を借りる場合は家賃を払わなくてもいい。そしてほとんどの人が自分の家を持っているから、住む場所にお金がかからない。

2021年6月19日土曜日

コーカサス旅行記#53-デモで道封鎖!予定変更で訪れた「アグダラ修道院」

旅行時期:2018年10月

7日目

ランチの後再び観光開始。

=====ガイド=====
これからの予定は、ここから30分ほどかけて世界遺産のサナヒン修道院に向かう。この修道院はハフパト修道院と同じ時代の10~13世紀に建てられたもので、ハフパト修道院より10年だけ古い。「サナヒン」というのは、「ハフパト修道院より古い」という意味。

ソ連時代の戦闘機「ミグ」をつくったのは「ミコヤン」というアルメニア人。そのミグが展示されている博物館にも寄る。

今いるアラヴェルディの街は、アルメニアの中でも古いスタイルを保っている場所。人口は5000人ほどの小さな町だが、鉱石の産業でとても豊か。
胴の鉱山がたくさんあり、昔はアルメニア人だけでなく周辺の国の人がたくさん働いていた。今はほとんどがアルメニア人。
アルメニア人全体の20%は失業しているが、鉱山のあるアラヴェルディでは、みんな仕事についていた。

アルメニアの首都エレバンからジョージアのトリビシまで走る鉄道がある。1980年に完成し、外国まで行ける鉄道はこれだけ。
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綺麗な景色を車窓から眺めていると、車が渋滞してたくさんの人が集まっているのが見えました。 ドライバーさんが状況を確かめにいくと、どうやら政府に対しての抗議デモが行われているらしく、あと4時間は道が通れないとのこと。
 
次に向かうサナヒン修道院はこの道でしか行けないのですが、ここで車が動けなくなるとあとの予定が大幅にくるってしまうので、今回はあきらめて他の修道院に行先を変更することになりました。

2021年5月8日土曜日

コーカサス旅行記#52-アルメニアの世界遺産のパン「ラヴァシュ」とBBQのランチ

旅行時期:2018年10月

7日目

「ハフパト修道院」の見学後は、近くのレストラン「FRLORA」でランチ。



=====ガイド=====
メニューは、アルメニアのパン「ラヴァシュ」や豚肉のバーベキュー「ホロヴァッツ」。アルメニアの豚肉のバーベキューは世界一美味しいと思う。
「ラヴァシュ」は、ユネスコの無形文化遺産になっている。食べ方は、チーズとかトマトなどを巻いて食べるのが一般的。
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