2021年8月1日日曜日

コーカサス旅行記#54-アルメニアあれこれ話

旅行時期:2018年10月

7日目



次の目的地セヴァン湖までの移動の間、アルメニアについて色々な話をしてくれました。

=====ガイド=====
アルメニアの旗の色は、赤、青、オレンジで、1918年につくった。
1911年から1918年までロシアの中にいたが、1915年にオスマントルコが西アルメニアで100万人のアルメニア人を虐殺し政略した。
その後、東アルメニアに侵攻してきたが、この時はアルメニアが勝った。それでロシアから離れて、1918年に独立し旗をつくった。
赤は、これまでに流れたアルメニア人の血、青色は平和、オレンジは仕事の意味。



軍隊のシンボルは、ライオンと鷲。
アルメニアにはライオンはいないが、紀元前9世紀からアルメニアは王国で、この時代では一番強い王国だった。なので動物の王者ライオンをシンボルとした。また鷲は空で一番強いからこれもシンボルになった。

その他に、ザクロ、ブドウ、アンズもアルメニア人のシンボルになっている。ザクロは「豊か」の意味、ブドウはキリストの血の意味で教会でよく見る。アンズはノアの箱舟からアルメニアに下りてきたハイクのシンボル。

アルメニアでは、軍隊が一番大事。ずっと昔からあって、故郷を守るために必要だった。
現在は、男性は18歳から2年間必ず軍隊に入隊する。行かなくていいのは、病人と神父さんだけ。2年の間は、1回だけ10日間家に戻ることができる。携帯電話も使えない。
大学に行く人は、入隊前に大学に入学しそのまま軍隊に入隊し、兵役が終わったらまた大学1年生として戻る。

軍人になると、いろいろな割引などを受けることができ、バス代や医療費などが無料になったり、その家族も30%オフになったりする。

アルメニアの学校は小学校(4年間)、中学校(5年間)、高校(3年間)の全部で12年間。
2010年までは10年間ですべて同じ学校で授業を受けていた。しかし今は、小学校と中学校は同じ学校だが、高校は自分で選べるようになっている。
小学校から中学校、中学校から高校に上がるためにも試験があり、落ちたら小学校や中学校に戻るシステムだが、今のところ戻った人はいないらしい。

アルメニアで一番有名な大学は国立大学と医学大学で、人気があるのが建築大学。
夏休みは約3か月で冬休みは1か月くらい。小学校では春と秋休みもあり、1週間ほどの期間。春と秋は自分の家の農業を手伝うために、学校に行かなかったから休みになった。

アルメニアの結婚は、女性が26か27歳、男性は30歳までにする。以前はもっと早かった。理由は戦争で、外国人と自分の娘が結婚させられないように、18世紀ごろには14歳ごろまでに結婚した。
しかし、オスマントルコ人は農業が盛んなアルメニアで暮らしたかったので、アルメニア人の女性と結婚した。そのため、トルコ人とアルメニア人の顔とか文化がとてもよく似ている。
アルメニア人の平均寿命は、男性は70歳、女性は73歳で、やっぱり女性の方が長い。今は、だいたい3人くらいの子供を産む。

給料は月給7万ドラム(150ドル)くらい。医者とか警察官、弁護士、建築家は給料が高い。
多くの人は給料は安いが、家を借りる場合は家賃を払わなくてもいい。そしてほとんどの人が自分の家を持っているから、住む場所にお金がかからない。



アルメニアの貨幣の価値は日本の4分の1くらい。物価は安くて、特に野菜や果物など、その旬になるととても安くなる。例えば、トマトやきゅうりの時期になると、トマトは1キロで200ドラム(約50円)、きゅうりは50ドラムくらい。しかし、冬になると1500ドラムくらいに高騰する。果物は、アンズや桃、リンゴなどが美味しい。夏の間に果物でジャムやドライフルーツなどを作り、冬のために保存食として準備する。

アルメニアで有名な飲み物はコニャック。ブランデーと混同しがちだか、コニャックの方が古さがある。一番若くても3年もので、1年ものはブランデーとなる。アルコール度数は40%。


コニャックは白いブドウからつくる。はじめに白ワインをつくって、そのあとコニャックをつくる。今アルメニアにある一番古いものは40年もの。スーパーとかには売ってないので、醸造所に行かないと手に入らない。
アルメニア人は、コニャックを飲むときは、チョコレートや果物をつまみながら数時間かけてゆっくり飲むのが習慣。

1886年に、アルメニアのコニャックはあちこちの国で有名になった。一番最初はフランスのプレジデントで、アルメニアのコニャックを飲んだ時、これはブランデーではなくコニャックだと言った。それから、コニャックと呼ばれるようになった。
コニャックと呼んでいいのは、フランスとアルメニアのものだけ。

アルメニアのワインは、ザクロワインが美味しい。味は甘くてジュースのよう。みんな家でワインをつくるから外であまり買わない。
ワイン作りは紀元前8世紀からで、ブドウは12種類つくっていた。
現在山梨で栽培されているブドウは、かつてシルクロードを通って伝わったアルメニアのブドウだそう。


アルメニアの人口は約300万人で、97%はアルメニア人。3%は外国人で、そのうち1%はロシア人のモロカン人。なぜモロカンと呼ぶのかというと、モロカというのはロシア語で牛乳という意味だが、彼らは牛乳がとても好きだったから。
面白い文化があり、結婚すると女性はスカーフをかぶり、男性はひげを長くする。家の中には誰も入れないし、携帯やインターネットも使わない。他の文化とは一切交わらない生活をしている。

アルメニアにいる日本人は、大使館員含めて15~16人しかいない。アルメニアにある日本大使館は2015年にできたが、日本のアルメニア大使館は1918年からある。初代の大使は女性でディアナ・アブガルさん。大使になっていからはアルメニアに戻ることなく日本で亡くなった。
アルメニアと日本の関係は良好。日本がアルメニアで水道を作ったり、地盤沈下に対応するために働いたり、シルクロードの道路も作ったりしている。

アルメニアは、紀元前15世紀から9世紀には、ハヤスタンと呼ばれていた。その前はナイリ。
紀元前5世紀に、アルメニアの王様の名前がアルメンだったので、みんなアルメンの国と呼んでいたことから、外国ではアルメニアという名前が浸透した。

紀元前9世紀からはウラルト時代。ウラルトはアシリア語だが、アルメニア語にするとアララトになる。
ウラルト人の住まいは、西アルメニア(今の東トルコ)で、アララト山のあたりまで。そのころからくさび形文字を使っていた。

ウラルト時代には広大な国土を持っていて、地中海からカスピ海、紅海からエジプトあたりまで、アルメニア高地と呼ばれていた。でも今は、周辺国に吸収されとても小さくなってしまった。

アルメニア高地で一番高い山はアララト山で標高は5,137m、湖で大きいのはヴァン湖(トルコ)、オルーミーイェ湖(イラン)、セヴァン湖(アルメニア)。ヴァン湖で有名な動物は「ヴァン猫」で、目の色が青と茶色になっている。 
===============

【関連リンク】


↓この記事がお気に召したらソーシャルで共有してくれると嬉しいです↓
(ボタンは記事の一番下)





0 件のコメント:

コメントを投稿