旅行期間:2017年2月
2日目
だんだんと水辺の風景が増えて、ヤンゴンに比べて田舎になってきました。
=====ガイド======
さきほどの川で州が変わる。ここからパゴー地方域。バゴ―はまだあまり発展していない地域だが、初めてのミャンマーの統一王朝が開かれた場所。
昔のミャンマー地図。緑色のところがミャンマーだった。今の地図の倍ぐらいの領土で、タイのチェンマイなどもミャンマーの一部だった。
タイとミャンマーは交流があって、文化も習慣も同じ。前のタイの王がミャンマーとの戦争に負けて、この町に捕虜としてきた。その後この町で亡くなった。今、ミャンマーを訪れる観光客で一番多いのがタイ人で、彼らは、自分の国の王を捕虜として連れて行ったビルマという国はどういう町なのか見に来る。
タイの王には息子がいて、ミャンマーの王の息子と同い年だった。ミャンマーの王は、タイの王子を自分の息子と同じように大切にし、ミャンマーの格闘技の「ラウェイ」などを教えたりした。
「ラウェイ」の「ラ」は拳、「ウェイ」は殴るを意味していてこのバゴ―でうまれた。タイで有名なムエタイはこのラウェイからきている。ムエタイと違うところは、ラウェイは頭突きも使うこと。これはとても危険で、ミャンマーで練習をしているとき誤って相手を頭突きで殺してしまったことから、ラウェイをタイに伝えた時に頭突きは教えなかった。
バゴ―は、「ペークー」ともいい「ペー」はアヒル、「ク―」は泳ぐで「鳥の町」という意味。水辺が多くアヒルがたくさんいた。
お釈迦様時代に、お釈迦様もこの町に来た。この地域は水ばかりで島もあったがあまり大きくはない。お釈迦様が来たとき、島の中でも大き目の島でお釈迦様とお釈迦様に会いに来た二人の兄弟が話していた。その時、まわりの水でアヒルが泳いでいたが、そのアヒルが泳ぎ疲れて隣の小さな島に上陸して休んだ。最初に雄鶏があがったが、それ以上余分なスペースがなく、ペアだった雌鶏は雄鶏の背中に乗った。それを見た二人の兄弟が、あれはどういう意味かとお釈迦様に聞いたら、将来あの鳥がとまったところの土地が大きくなり町ができると預言した。それがバゴ―。この町のシンボルはこの鳥の形で町の入口にモニュメントもある。
この町にはビルマ族と共にモン民族も多く住んでいる。モン族の言葉では、バゴ―は「美しい町」という意味になる。綺麗な女性も多い町で、女性が強い。鳥も雌鶏が上になっている。なので、結婚するのはこの町の女性はやめた方がいいと言われる。
町中には高層ビルがあまりなくて田舎という感じ。大きくはないので、オートバイがあればどこでもいける。しかし、あと4~5年後にはヤンゴンのような町になっている可能性がある。理由は、ヤンゴンにある空港より倍ぐらい大きな空港の建設のプロジェクトがあるから。そのため、土地の値段も上がってきた。
今からバゴ―川を渡る。昔は港もあり倍くらい広かった。橋を渡ると市内に入ってくる。
バゴ―町の有名なお土産は「ナチェ」で、「ナ」は魚、「シェ」は酸っぱいという意味で、日本の鮒寿司のようなもの。ローカルの参拝者向けのもので、外国人が食べるとお腹を壊す。
時計台の下に町のシンボルの鳥のモニュメントがある。
この町には、世界最大のパゴダがある。高さが114mのシュエモードー・パゴダ。「シュエ」は金箔、「モード―」はモン族の言葉で、隠れたり現れたりという意味。昔はこの辺は水ばかりで、一番最初に現れた陸地はそのお寺の場所。水位が上がれば隠れて、下がれば現れた。
もうひとつの名物は涅槃像。日本の映画『ビルマの竪琴』に出てくる涅槃像がこの町にあると言われている。映画の中では、仏像の中に入ったりしているが、本当はできない。映画の撮影は、ミャンマーが鎖国していたためタイで行われた。
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【関連リンク】
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