3日目
8時ホテル出発。
今日は325キロ移動し、シェキの町まで行きますが、その前に1934年にできたバクーのビューポイント「シャヒドゥラール広場・殉教者の小道」に立ち寄ります。
=====ガイド=====
ここは、ゴルバチョフが統治していたソ連時代末期の1990年1月20日(黒い1月事件)におきたソ連赤軍の侵攻や、アルメニアとの戦争で亡くなった一般人、第一次世界大戦でアゼルバイジャンと戦ったトルコ兵1130人を含む、15000人が埋葬されている場所。慰霊碑などがある。
また公園になっていて、カスピ海やバクーの町を一望でき、2012年にできたバクーのシンボルのフレームタワー(約190mで38階建て)もよく見える。フレームタワーは3つの炎を表現している。
国会議事堂も近くにあり、125人いる国会議員のうち、31%は女性。
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=====ガイド=====
下に見える道はペルシャ方面に続く道で、歴史的にとても重要なもの。
紀元前4世紀にダライオス三世を追ってアレクサンダー大王がやってきたり、オマーンなどのアラビアからイスラム教を伝えに来た人や、チンギスハーンもこの道を通った。シルクロードの南ルートの一部でもある。
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バクーで一番高い丘ということで見晴らしがとてもよく、晴れていれば真っ青なカスピ海が見られたと思います。
ただこの日は、天気が悪く風が強かったので、かなり寒い。防寒は必須でした。
黒い1月事件について
=====ガイド=====
アゼルバイジャンの中にアルメニア人がたくさん暮らしている「ナゴルノ・カラバフ」という未確定地域(自治区)があり、その領土問題で両国がもめていた。
一応1994年には停戦という形になっているが、現在に至るまでにも幾度も武力衝突が起こり、アゼルバイジャン西南部は紛争地帯になっている。
停戦までには約2万人が犠牲になり、100万人以上が難民になったとされ、アゼルバイジャン国内には未だ80万人の難民が暮らしている。
そのもめごとの背景にあるのが、1990年1月に起きた「黒い1月事件」。
※「黒い1月事件」の名前の由来は、「ナゴルノ・カラバフ」にある。ナゴルノは「山岳」、カラバフは「黒い庭」という意味。黒い庭と言われる所以は、肥沃な土壌と黒く見えるほど豊かな森林があるため。
その当時、両国では「ナゴルノ・カラバフ紛争」が進行中だった。ゴルバチョフは、アゼルバイジャンがアルメニアに攻撃されているとして、1月19日に非常事態宣言をバクーに発令。
そして、ソ連の特殊部隊が19時15分に中央テレビやラジオ、電話などの通信網を破壊し、約26000人のソ連軍がバクーに侵攻。一般人を無差別に殺傷したとされる。対外的には、内部にたくさんいた過激派の勢力を抑えるため国家当局が介入し、市民を保護したと言っている。
非常事態宣言は4ヵ月ほど続き、その間には女性子供関係なく動くものはみんな撃たれ亡くなった。家の中にいても、カーテンに人の影がうつっただけで撃たれたらしい。そして、多くの遺体はブルドーザーで回収され、カスピ海に放置されたといった証言もある。
書籍では147名の死者とあるが、ガイドの説明では168名ほどと言っていた。しかし行方不明者もたくさんいて、本当の死者数は200名とも300名とも言われている。
事件後、40日間市民は喪に服し、その後も毎年追悼の儀が行われている。
なぜこのような事件が起きたのかというと、当時はソ連の一部とされていた国がたくさんあり、それに反対する勢力があちこちに存在していた。そのため、反逆するとこのような目にあうという見せしめと言われている。
最終的には、この事件について謝罪がされた。
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カスピ海問題について
=====ガイド=====
アゼルバイジャンの面積は北海道と同じくらいで、カスピ海は日本と同じくらいある。
カスピ海では、原油と天然ガスが採取でき、カスピ海を海とするか湖とするかで沿岸諸国(5ヵ国)の法的な権利が変わってくる。
もし湖なら、そこにある資源は沿岸諸国共有のものとなり、海ならその沿岸の国のものとなる。
ソ連時代には、カスピ海はソ連とイランの二か国の所有だった。当時ソ連には開発技術がなく、どのような資源が眠っているかの予測はできたがよくはわかっていなかった。そのため、湖として認識していても問題なかった。
しかし、1991年にソ連が崩壊し、カスピ海沿岸がロシア、カザフスタン、アゼルバイジャン、トルクメニスタン、イランの5ヵ国になり、カザフスタン、アゼルバイジャン、トルクメニスタンは自分で海洋調査を実施。すると、沿岸に油田があることがわかったため、海だと主張するようになった。
ロシアとイランは資源がみつからなかったり、調査ができなかったりしたため、湖だと主張していたが、1998年にロシア沿岸で油田が発見され、ロシアはやっぱり海だと言い始めた。
そのため、現在「湖」と主張しているのはイランのみとなっている。
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島国の日本でも近隣諸国との問題がありますが、それが地続きだとさらに深刻になりやすいと、これまで訪問した国の人が言っていたのを思い出しました。
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