2015年8月31日月曜日

キルギス・カザフスタン旅行記#22-Ashu Guest House(アッシュゲストハウス)の朝食

旅行期間:2015年7月

4日目

たくさん歩いた後は朝食です。
眺めのいいダイニングルームで、まわりの景色を見ながらの朝ごはんは格別。

 

 

 

2015年8月30日日曜日

キルギス・カザフスタン旅行記#21-おとぎの国のようなチョンケミン渓谷の早朝散歩

旅行期間:2015年7月

4日目

早朝6時前、夜明けと共に朝の散歩に出発。
広い庭をつっきり裏口から出てみると、まるでおとぎ話に出てくるような風景が広がっていました。

山の向こうから差し込む朝日の中に、草を食む馬やヤギ、牛、鶏などが現れ、これでもかというほどの長閑さをかもし出しています。
そして、それらのまわりには、古びた農機具や草原の中に建つ小屋、遠くに連なる雪山などがあり、なんだかその景色全体が映画のセットのようにちょっと非現実的な空間に思え、突然その中に入ってしまったような不思議な感覚でした。















2015年8月29日土曜日

シンガポール料理 マカン@神保町

キルギス旅行に行ったときの人たちと、神保町にある、

シンガポール料理レストラン マカン

に行ってきました。
神保町に来たのもかなり久しぶりですが、シンガポール料理も何年も前に恵比寿で食べた以来です。

 


今回はマカンコースで、もやしときゅうりのマレーサラダ(自家製ピーナッツソースであえたエスニックサラダ)、バクテースープ(ポークスペアリブの煮込みスープ)、空芯菜のサンバルソース炒め(マレーシア定番のエビの辛みそ炒め)、ペッパープローン(エビにピリ辛の胡椒ソース)、海南チキンライス(蒸し鶏と鶏がらスープで炊いたご飯のシンガポール名物)、エビセン、アイスクリーム。





2015年8月27日木曜日

アジアにこぼれた涙:おすすめ本

著者がアジア各地を取材して実際に体験したことをまとめたエッセー本。

アジアにこぼれた涙[石井光太]




掲載されている取材先には私も訪れたことのあるパキスタンネパールスリランカブータンなどの国もあり、少しは現地事情を知っている部分がありましたが、やはり長期滞在してつっこんだ取材で得た情報は重みがあります。

2015年8月26日水曜日

キルギスとカザフスタン旅行記の3日目分のまとめ記事を掲載

私のサイトの「世界の旅行記」にキルギスとカザフスタン旅行記の3日目分のまとめ記事を掲載しました。










【内容】
ビシュケク郊外のアラ・アルチャ自然公園でハイキングし、ピラフセンターでプロフのランチ。シルクロードを通ってトクマクにある世界遺産のブラナの塔と石人、そして玄奘三蔵も立ち寄ったアクベシムを見学。ブラナの塔では真っ暗な塔の中をのぼり天山山脈が連なる絶景を堪能した。夜はチョンケミン渓谷のゲストハウスに宿泊。

2015年8月25日火曜日

キルギス・カザフスタン旅行記#20-山と畑に囲まれたAshu Guest House(アッシュゲストハウス)

旅行期間:2015年7月

3日目

本日の宿は、Ashu Guest House(アッシュゲストハウス)
その名の通りゲストハウスなので、街中のホテルとは違い民宿という感じです。

広い中庭に面した一棟をまるごと私たちのツアーで貸切。
各部屋には綺麗に掃除されたトイレとシャワーが完備されています。
鍵は内側からしかかかりませんが、それだけ安全だということでしょう。
シティーホテルのような設備ではありませんが、とても静かで居心地がよく、このツアーの中で泊まった宿の中でもかなり気に入りました。

 

 

 

 

2015年8月24日月曜日

キルギス・カザフスタン旅行記#19-トクマクからチョンケミン渓谷へ

旅行期間:2015年7月

3日目

このあと、ホテルのあるチョンケミン渓谷へ向かいます。だいたい1時間半くらい。

 


トクマクの景色を眺めながら、世界遺産のブラナの塔があるベラサグンとスイアーブについて簡単に復習。

=====ガイド=====
アクベシム(スイアーブ)は中国語で砕葉または素葉と書き、名前はチュー川に由来していると言われている。
もともとはシルクロードの3つの交易路として栄えたが、6世紀より前から町はあったとされている。その後突厥が都をかまえてから重要な都市になったが、679年唐によって占拠された。唐が衰退したあと、トルコ系の突騎施というものが占領し、西からくるイスラム勢力に対抗していた。そのあと遊牧民族のカルルクが台頭しベラサグンに機能が移り衰退してしまった。

そのベラサグンはどこかというとブラナの塔があったあたり。車で10分くらいの近い所だが、スイアーブの東の端の辺りとベラサグンの西のあたりがちょうど同じところにあったと言われている。

突厥とは、552年にジュウゼンという国の支配下から独立したトルコ系の遊牧民族。ジュウゼンというのがトルコ系かモンゴル系か定かではなく、初のトルコ系の国家とされている。突厥とはテュルクを中国語で書いたもの。
最初にササン朝ペルシアと協力してここにあったエフタルという国を滅ぼして、西はカスピ海、東はモンゴルの方と巨大な帝国になっていったが、広すぎたせいで583年、30年ばかりで国が東西に分裂した。そして主な都市としてスイアーブが栄えて玄奘三蔵も立ち寄った。そのころはヤブグカガン王が統治していたが一番の最盛期だった。

ベラサグンとスイアーブの地理だが、唐の地理学者によると、ベラサグンはスイアーブの東12キロ、イシク・クルの西20キロにあると記載されている。
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2015年8月23日日曜日

キルギス・カザフスタン旅行記#18-世界遺産アクベシム(スイアーブ:砕葉城)

旅行期間:2015年7月

3日目

ブラナの塔のあとは、満開のヒマワリ畑を通り世界遺産アクベシムへ。




=====ガイド=====
アクベシムはトクマクの町の跡地。だいぶ前に滅びたため今は風化してほとんど何も残っていない。
アクベシム(当時はスイアーブ(砕葉城))ができたのは、5~6世紀。スイアーブというのは、「チュー川の隣に位置している町」という意味だが、実際は川は流れていない。しかし、昔はチュー川の隣まで広がっていたのではないかと言っている科学者もいる。

6世紀には西突厥という国ができて、スイアーブには突厥とイラン系ソグド人が仲良く住んでいた。いろいろな物が売られとても栄えていて、入るのには今でいうビザが必要で高いお金を払わなければならなかった。

627年、玄奘三蔵が中国領から通った時、西突厥の王様はとても気に入ってここに住みなさいと提案した。さらに、ここを通るときのビザも必要ないのでいつでも好きな時に来てくださいと言った。

玄奘三蔵がイシククルからこの町を通ってインドへ行ったということは、この地域では大きな役割を果たした。なぜかというと、玄奘三蔵によって仏教が教えられたから。

昨日行った博物館に展示されていた資料で想像はできたと思うが、当時は、仏教の寺、教会、モスクもあった。でも今はほとんど何もないので想像力が必要。
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2015年8月22日土曜日

アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極:おすすめ本

北極探検中に129人の隊員が全滅したフランクリン隊の足跡を追うノンフィクション。

アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極[角幡唯介]




角幡さんの本が好きでこれまでにも「雪男は向こうからやって来た」や「空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」など読みましたが、本当によくやるな~というのが一番に最初にくる感想。

今回は一面氷に覆われた極寒の世界から蚊の大群が飛び交う湿地帯まで約1600キロを踏破。
途中、カニバリズムにまで走ったと思われるフランクリン隊と同じように飢えと寒さに苦しめられながらもなんとかゴールにたどり着きます。

なぜフランクリン隊は全滅したのか、最後の生き残りはどこまでたどり着いたのかなどの謎をほぼ同じルートを辿りながら追っていくノンフィクション作品。

2015年8月21日金曜日

キルギスとカザフスタンの写真素材を掲載

私のサイトの「世界の写真素材」に「キルギス・カザフスタン写真素材」を掲載しました。












【内容】
中央アジアに位置するキルギスとカザフスタンの写真素材。天山山脈の麓に広がる大自然の絶景とシルクロードの遺跡を巡る。天山の真珠と呼ばれるイシク・クル湖、「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」として世界遺産に登録されたブラナの塔と石人、アクベシム(スイアーブ)、おとぎの国のような花が咲き乱れるチョンケミン渓谷、標高3000mを越える高地にあるソン・クル湖畔の大草原と遊牧民のユルタ、色とりどりの品物が並ぶビシュケクのオシュバザールなど、文明が交差するシルクロードの写真を掲載。

2015年8月20日木曜日

キルギス・カザフスタン旅行記#17-世界遺産ブラナの塔と石人

旅行期間:2015年7月

3日目

トクマクの街に入るとやがて道の向こうに塔が見えてきました。
世界遺産ブラナの塔に到着です。

 




昨日の博物館でも見ましたが、バスを降りるとき、今一度当時の想像図を確認。



2015年8月19日水曜日

Travel Massive東京に参加

先日、Travel Massive 東京というイベントに参加してきました。

 


これは、

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この度、Travel Massive として始めて東京六本木にてイベントを開催することになりました。
栄えある第一回目は、格安旅行の検索・比較サイト"Travel.jp"を運営する株式会社ベンチャーリパブリックがホスト・スポンサーを努めさせて頂くことになりました。
当日は弊社CEO柴田並びに現在ホットな旅行ブランド企業様にお越し頂き、旅行業界トレンドに関するスピーチを予定しております。参加企業様とブロガー様にとって有益な交流の場をご提供できるよう、会の開催に取り組んで参りますのでどうぞよろしくお願い致します。

現在予定しております登壇者は、 Booking.comより日本地区統括リージョナル・マネージャーの勝瀬氏です。 Booking.comにおける世界・日本での展開や、旅行業界についてのトレンドなどをお話いただく予定です。 そしてTokyo Chapter Leaderを務めるVenture RepublicのCEOである柴田も登壇いたします。 旅行業界の世界規模のコミュニティーにご参加いただき、 業界のリーダ、イノベーターとの情報を共有されては如何でしょうか 。
-----(サイトより引用)-----

というもので、当日は当初の参加枠を大幅に超える人が集まりとても盛り上がりました。

もともとこのようなものがあるとは知らず、ホストスポンサーのベンチャーリパブリックから私のサイトを経由して連絡があり参加に至ったのですが、同じ「旅行」というカテゴリ内のさまざまな参加者がいてとても有意義な時間を過ごすことができました。

2015年8月17日月曜日

ロスト・シティZ 探検史上、最大の謎を追え:おすすめ本

南米のジャングルに眠るという失われた古代都市Zを発見するために旅立って行方不明になった伝説の探検家パーシー・ハリソン・フォーセット。その彼の行方とZの秘密に挑む冒険本。

ロスト・シティZ 探検史上、最大の謎を追え[デイヴィッド・グラン]




現代においてもなお、未踏の地が多く残るジャングルで繰り広げられる過酷な探検の様子やZに憑りつかれたフォーセット、そして、そのフォーセットに憑りつかれた数多くの探検家たちの物語。
この本の著者もジャングルへ旅立ち、そこに住むインディオや研究者たちの協力を得て謎に迫っていきます。

2015年8月16日日曜日

キルギス・カザフスタン旅行記#16-三蔵法師に想いを馳せシルクロードのトクマクへ

旅行期間:2015年7月

3日目

ランチで一息ついたあとは、さきほどのシルクロードを通ってトクマクへ向かいます。

 


三蔵法師で有名な玄奘三蔵と所縁のある場所ということで説明がありました。

=====ガイド=====
三蔵法師と呼ばれているが、一人しかいないわけではなくたくさんいた。三蔵法師というのはもともとの意味はお釈迦様の教えの「経」、「律」、その両方を研究した「論」の三つを極めた人のことを三蔵といった。しかし、一番有名な人が玄奘三蔵だったので三蔵法師と言えば玄奘三蔵となっている。

玄奘三蔵は602年くらいに今の河南省で生まれた。10歳の時に父親が亡くなり、その翌年、上から二番目の兄が洛陽のお寺に出家するということでそこに行った。13歳のときに、優秀な人しか選ばれない僧となり、25~26才ころまで仏法や高僧の教えを求めて中国各地を巡っていた。

618年18歳の時に、兄と一緒に長安に移るが随の末期だったので戦争などがあり、とても勉強をする環境ではなかった。そのため翌年、成都に移った。

各地を周り話を聞いているうちに、いろいろ疑問を抱いて、どうしようかと思った際、仏教の大元の天竺(今のインド)へ行って経典の原典を見れば疑問も晴れると思い行くことにした。
ただ当時、唐は鎖国状態で国外に出ることは禁止されていたため、627年か629年と言われているが、国禁を犯しなんとか国外に出た(状況からみると627年の方が正しいとされる)。

2015年8月15日土曜日