2015年8月11日火曜日

キルギス・カザフスタン旅行記#13-ビシュケクの歴史とキルギス国内の差別

旅行期間:2015年7月

3日目

朝起きると今日もいい天気。
ホテルの部屋からは綺麗な天山山脈が見えました。






朝食を済ませ、8時30分ホテル出発。




まずは今日の行程を添乗員さから。

=====ガイド=====
これからアラ・アルチャ自然公園へ行って往復2時間くらいのハイキング。その後ビシュケク市内に戻りランチ。
午後はちょっと想像力が必要なアクベシム遺跡、ブラナの塔と石人を見学した後ホテルに行く。順調に行けば、19時くらいに到着。
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続いて、これから向かうアラ・アルチャ自然公園についてエリさんから。

=====ガイド=====
これから向かっていくアラ・アルチャ自然公園は1976年につくられた。だいたい14900ヘクタールある。ビシュケクの標高は750m~900mだが、アラ・アルチャの入口は1200mでそこから登っていくと4200mまである。
アラ・アルチャ自然公園は土日は遊びに行く人が多く人気スポットになっている。動植物に恵まれていて、植物は800種以上、160種の鳥、170種の動物。例えば植物の中ではカバの木、ポプラ、柳の森が盛ん。鳥や動物はハゲワシ、ワシ、猪、熊、ユキヒョウ、山ウズラが有名。
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アラ・アルチャ自然公園までは30~40分くらいかかるので、その時間を利用してビシュケクの歴史や民族の差別についてのガイドがありました。

=====ガイド=====
#添乗員
ビシュケクの歴史について。
ビシュケクは天山山脈のキャラバンの停泊地としてソクド人というイラン系の商人によって最初の街が造られたと考えられている。15~19世紀くらいにキルギス人がやってきて、1825年にウズベク系のコーカンド・ハン国がこの地に要塞を築いた。その後、1845年にロシア帝国が進出してきてコーカンド・ハン国との争いの後、1862年にロシアに編入されることになった。そのときビシュテク(ビシュケクではなく)と名付けられた。

1926年ソ連内の自治共和国としてキルギス自治ソビエト社会主義共和国というものが誕生し、そのときフルンゼという名前になった。フルンゼというのは、ロシア革命時のビシュテク生まれの司令官に因んでつけられた。
フルンゼという名前は今ではあまり残っていないが、マナス空港の空港コードがFRUになっている。
1991年2月にビシュケクに改名された。

#ガイド
ビシュケクは独立してから人が集まることが多くなった。独立までは人口は80万人だったが独立後は100万人。特に南からの人が多い。80以上の民族が住んでいる。

高校を出てからビシュケクに来る若者も多いが、しばしば差別することがある。例えば、北から来た人と南から来た人はお互いに違和感を感じている場合が多い。大学内でも北と南で別々にグループを作り、あまり仲良くならない。

南ではイスラム教は北よりも強く守られていて、北の人については、すごく遅れている人、ロシアっぽくなっている人と思っている。
南のオシュなどに観光とかで行くと、服の恰好や顔で出身地がわかってしまうので、「あなたは遅れている土地から来ましたか」と声を掛けられることがある。

しかしここでは逆に、もっと北の方のイシク・クルの方とかでは、ウズベク系が多いオシュの人にウズベクとの関係などを持ち出して「あなたたちもキルギス人じゃないですね」と言ってしまう。

大学で6年間勉強しているときに感じたことは、このように違う地方に住んでいても同じ民族の代表だから、特に外国に行くときなどは、出身地で差別するのはやめてほしいと思うようになった。今の若者、特に大学や外国で勉強している人たちによって、このような声がインターネットなどにも投稿されている。
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どこの国・・というか、もっと小さい単位でも差別というのはありますからね。
私個人の考えでは、人間がいる限り、この先も地球から差別がなくなる可能性は少ないと思いますが(悲しいけど)、そのことが理由で無益な争いが増えないといいなと思います。

アラ・アルチャ自然公園に近づくと、車窓には雲一つかからない山並みが見えてきました。








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