2015年5月15日金曜日

川越小江戸史跡めぐり#06END-日枝神社と薩摩芋スイーツ

旅行期間:2015年4月

喜多院の山門を出て、向いにある日枝神社に寄ってみました。
本堂が建っているだけのこじんまりとした境内で、その脇に1500年前の仙波日枝神社古墳があります。








日枝神社本殿 付宮殿 一棟(重要文化財)
日枝神社は、慈覚大師円仁が無量寿寺(中院・喜多院)を中興する際に、近江国坂本(滋賀県大津市)の日吉社(日吉大社)を勧請したといいます。
本殿は朱塗の三間社流造で、銅板葺の屋根に千木、堅魚木を飾ります。三間社としては規模が小さく、梁構も簡素です。



身舎の組物は出三斗ですが、背面中央の柱二本は頭貫の上まで延び、組物は大斗肘木になっています。中備は置きません。妻飾は虹梁大瓶束であっさりとしています。縁を正面だけにもうけ、側面と背面にはまわさず、正面縁の両端のおさまりは縁板を切り落としただけの中途半端なもので、高欄や脇障子をもうけないため簡易な建築に見えます。庇は切面取の角柱を虹梁型頭貫でつないで両端に木鼻を付け、連三斗・出三斗を組んで中央間だけに中備蟇股を飾ります。ただし、この蟇股は弘化四年(1847)頃、修理工事の折に追加されたものといいます。身舎と庇のつなぎは、両端通りに繋虹梁を架け、中の二通りに手挟を置きます。

本殿の建立年代について、それを明確にする史料はありませんが、構造の主要部分っは近世初頭の技法によりながら、装飾意匠の一部に室町時代末期頃の様式をとどめ、また、中央の保守的伝統的な技法によらない地方的な技法も見うけられます。虹梁に絵様をほどこさず袖切・弓眉だけとする点、庇木鼻の形状と正円に近い渦の絵様、実肘木の絵様、手挟のおおまかな刳形、などは室町末期の様式です。

また、正面の縁のおさまり、大棟上に飾棟木をもうけず直接千木・堅魚木を載せる点、背面の組物だけを大斗肘木とする点、組物の枠肘木と実肘木が同じ断面寸法でかつ背と幅が同一な点、巻斗の配置が六支掛の垂木配置と関係なく決定されている点、などは地方的技法といえます。とくに枠肘木・実肘木の断面寸法、垂木割にかかわらない巻斗の配置は珍しく、幕府作事方に収監される中央の木割法とは異なる設計システムが存在したことを推測させます。

喜多院は慶長十七年(1612)頃に再興されており、日枝神社本殿もその一環として造営された可能性もありますが、それ以前に地方工匠の手によって建造された可能性も残されています。(案内板より)


その後、駅に向かって歩いていきます。
途中、創業明治20年の和菓子屋さん「くらづくり本舗」で薩摩芋のお菓子などを買うと、店内でお茶のサービスと試食をいただくことができました。
歩き回って疲れた体には甘いものが美味しい!御馳走様でした。
今回お土産に買ったのは人気の「スイートポテト べにあかくん」と「ぽくぽく」。どちらも美味しかったです。








一息つき、電車の時間に合わせて駅に戻りました。
川越めぐりは、見ごたえ、歩きごたえのある散策で、東京からちょっと足をのばして観光するにはいい場所だと思います。


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