2015年5月12日火曜日

川越小江戸史跡めぐり#03-東日本唯一の本丸御殿遺構 川越城本丸御殿

旅行期間:2015年4月

ランチのあとは蔵造りの町並みから離れて、日本100名城の川越城本丸御殿へ。
拝観料は一人100円。






川越城本丸御殿
弘化3年(1846)の二ノ丸御殿の焼失により造営された本丸御殿は嘉永元年(1848)に竣工しました。造営にあたっては、当時の城主松平大和守斉典が石高17万石を誇る大名であったことから、その格式にふさわしい威容を持つ御殿が造られました。巨大な唐破風を持つ玄関やその両脇に連なる櫛形塀などは、その象徴的な意匠とすることができます。
現在では玄関・広間部分と家老詰所など、その一部が残っているのみですが、その頃に描かれた「本城住居絵図」などを見ると、広大な御殿であったことがわかります。現在お本丸御殿の南には城主との対面の間を擁する「大書院」があり、その西側には城主の住まいなどの私的空間である「中奥」・「奥向」が連なっていました。
また、現在の本丸御殿から西に伸びる廊下には御殿内最大の居室である「御時計の間」や城主の食事を作る厨房があり、その最も西側に家老詰所がありました。(案内板より)


建物の中は、さきほどの人ごみとはうってかわって静かで、外からの風が吹き抜け気持ちいい。
城とは言っても御殿、お屋敷のイメージの方が強く、いわゆる姫路城などの城とは違う趣です。





 





その廊下を進んでいくと、窓越しに広い中庭が見え、向こう側の家老詰所の縁側にのんびりと座っている観光客が見えました。
その建物へは渡り廊下を通っていきます。

家老詰所への廊下
建築当時の家老詰所は、本丸御殿の西の端にありました。庭に埋め込んだ丸瓦は、詰所方向に続く廊下の位置を示しています。(案内板より)






渡り廊下から新しくした屋根が見えます。新しい部分はまだ白いですが、だんだんと他の色となじんでくるとのこと。



 


家老詰所にいくといくつかに区切られた部屋があり、日本家屋の落ち着いた雰囲気がとても素敵。

家老詰所
家老詰所は、藩の政治を取り仕切った家老たちが常駐する場所です。建物内には他に年寄りや記録方の詰所も設けられ、本丸御殿の中でも重要な役割を果たしていたと考えられます。
この建物は明治初期に解体され、福岡村(現ふじみ野市)の商家に移築されていましたが、昭和62年に川越城の遺構であることが確認されたため、現在の位置に移築・復元され、平成2年より公開されました。(案内板より)




その部屋のひとつに家老たちの人形が入り口からは見えない位置に展示されていてけっこうビックリします。

川越藩と江戸湾警備
江戸時代後期になると、外国船が日本近海にしばしば現れたため、幕府は沿岸警備を各藩に命じました。
川越藩は相模国(現神奈川県)三浦半島に領地を持っていたため、相模国の沿岸警備を命じられました。
天保14年(1843)9月より嘉永6年(1853)、ペリーが浦賀に来航すると江戸湾周辺の警備が一層強化されました。
川越藩は、新たに建設された品川台場に警備の変更を命じられます。
第一・二・五台場を担当させられました。
ここでは、図面を真ん中にして台場の警備について、相談している家老達の様子を再現しています。
警備に必要な経費や人馬の動員は、藩や村々にとって大きな負担となりました。(案内板より)






その部屋の向こうに縁側があるのですが、部屋の中から見るその光景は、なんとも絵になり昔懐かしいものを感じさせます。






また渡り廊下を通って出口に向かいます。
廊下の区切りにある古い扉の金色の取っ手(?)や、最後に入った広い部屋の古びた松の絵の襖や展示された甲冑が美しい。

 







 


喧騒を抜けてちょっと一息つくにはいい場所でした。


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