2015年3月5日木曜日

スリランカ旅行記#20-シーギリヤの宮殿を作ったカーシャパ王の物語

旅行期間:2015年1月

3日目

午後の観光は世界遺産ポロンナルワ遺跡群の見学。
レストランからそこに向かうまでの間に、午前中に登ったシーギリヤロックの宮殿を作ったカーシャパについてのガイドがありました。







=====ガイド=====
5世紀の中ごろ、ダートゥセーナ王は3人の妻を持ち、それぞれに1人ずつ子供がいた。
カーシャパはその中の長男。

スリランカでは何事も占いをして決めることが多かったが、その人の性格なども占いでわかったため、カーシャパが将来人を殺すかもしれないということがわかり、王の裏側にいた先生たちはカーシャパを次の王にしないように決めた。

それを知ったカーシャパは怒り、兵隊の偉い人(カーシャパと仲が良く、こちらもあまりいい人ではない)に命じて父親を殺してしまった。
その後シーギリヤに来て約18年間王様になった。

カーシャパの腹違いの年の離れた若い弟モッガラーナは、兄を恐れインドの王様のところに逃げ、そこで学校に通ったりしながら戦いかたや仏教などを学んだ。

インドで勉強したモッガラーナは、カーシャパに戦いを挑んだ。
そこでカーシャパはシーギリヤの宮殿から下りハバラナという町まで兵隊と一緒に来たが、その兵隊たちはこの兄弟喧嘩に巻き込まれて死にたくないと思い、どんどん後退していってしまった。
カーシャパは負けを悟り、モッガラーナに殺されるくらいならと自らそこで命を絶った。

カーシャパは、性格も悪く父親も殺したけど、シーギリヤを作ったので世界中で有名になった。

スリランカでは紀元前6世紀から1815年まで186人の王様がいた(その中にはお酒を飲んで一日で亡くなった人もいる)が、カーシャパの父ダートゥセーナ王は、186人の中の特に優れた王10人の中に入っているほどの王様だった。
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なんだかちょっと皮肉な話ですが、どういう理由で作ったにしろシーギリヤロックは遺跡としてはとても魅力的なものだと思います。






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