2014年2月28日金曜日

湯西川温泉旅行記#04-平家塚と平家の里

旅行期間:2014年2月

1日目

かまくら会場に向かっていると、途中で「平家塚」を発見。
しかし、雪に埋もれてよく見えませんでした。

平家塚の由来
今からおよそ八百年有余前湯西川を安住の地と定めた平家の武将、平忠實、忠房とその家臣や姫達の武具、金銀財宝等を埋めた所と伝えられている。
この玉垣の中には、七つの塚が点在し塚の上には子孫繁栄を願って、楡の木、一位ノ木等を植えたのが現在大木となり、その根元が塚となっている。
先祖代々この場所を神域と崇め子孫は今でも大切に保存伝承に努めている。(案内板より)





そしてそのすぐ近くに、今度は立派な「平家の里」と書かれた看板がありました。
一人500円の入場料を払って中へ入ります。ここも例外なくすごい雪。





 


「平家の里」に尽力した第五代栗山村長 齋藤喜美男氏の石碑がありました。

第五代栗山村長 齋藤喜美男
栗山村長 齋藤喜美男氏は、栗山村の観光資源の開発と就労の場の拡大を図ると共に、地域の活性化を期し、平家落人の隠れ里として広く世に知られる、ここ湯西川の地に「平家の里」を復元する決断をした。広く村民の強力を得て、第三期山村振興対策事業、並びに県単山村振興事業を導入し、敷地面積約1.7ヘクタールを買収し、昭和57年から4年の歳月をかけて施設の整備を行い、総事業費約三億円を投入して、昭和60年6月6日開村した。又同時に、山口県下関の赤間神宮より「平家の里」開村を祝し国内初の赤間神宮分詞がなされたことも偏に齋藤喜美男氏の熱望に依って実現されたものである。
以来「平家の里」は、湯西川温泉の唯一の名所となり、今日の繁栄を見るに至った。茲に、齋藤喜美男村政六期二十二年間の実績を讃えると共に「平家の里」の復元、並びに「平家落人大祭」の創設等、氏の大きな功績を顕彰する。(モニュメントより)

 


真っ白な雪の中にぽつぽつと建つ萱葺き屋根の風景はまるで日本昔話の世界。
それぞれの家の中には入ることができ、当時のさまざまな生活道具や平家一族に関するものが展示されています。





 

 

 

 


平家の歴史を展示した家では、平家一族の絵や仏像、源平関係の略年図などが飾られていました。

 


平清盛(入道清盛)1118~1181
「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり・・」という有名な書き出しで始まる「平家物語」の中心人物であり、また日本の歴史上の人物としてもこの名を落とすことのできない人がこの平清盛です。
清盛は一介の武士から身をおこし、遂には天下を制した立志伝中の人物でもあります。
「平家にあらずば人にあらず」というほど栄華を極めた平家一族はこの清盛の働きによって築かれたものです。また、この「平家・・」のことばなどから清盛の人物像が権力をかさにきた強欲無道であったふうにとらわれがちですが、実は清盛は、貧困を乗り越えて湯治の最高位である従一位大政大臣の地位についた努力の人でもありました。
世に有名な保元の乱(1156年)や平治の乱(1159年)をたくみに生きぬいた名将でもあります。それに清盛は国際的な感覚の持ち主で、神戸に港を築いて中国(宋)との貿易に力をいれようとしたり、「世の中を平和にしたい」という願いのもとに文化の発展や芸術の振興にも心を注いだあとが見受けられます。
また信心も厚く自分の病を治すため、出家入道「浄海」と名乗ったりしました。
この像はその頃のものであり、清盛が人間的にいちばん充実していたときであるともいえるでしょう。そして清盛は波乱万丈にとんだその生涯を64歳にして閉じています。
清盛の死後わずか四年にして平家は壇の浦の決戦(1185年)に敗れ、さしも栄華を極めた平氏もその時代に終わりを告げたのであります。(案内板より)

平敦盛(1168~1184)
平敦盛は経盛の三男に生まれ、五位に叙せられたが、官位につくことがなかったので「無官の大夫(たゆう)」とも言われた。
敦盛は鳥羽院から曾父の忠盛に下賜された名笛小枝を譲り受け大いにたしなみ、笛の名手としてその芸術的才能はとみに有名であった。
一の谷の合戦では義経の奇襲に敗北し、多くの武将を失ったが、その半ば以上が十代の少年公達で敦盛もその一人であった。
「敵にうしろを見せさせ給ふものかな かなへさせ給へ」敦盛は沖の船に馬を泳がせたところ、源氏方の熊谷直実に呼びかけられ組討したが押さえつけられ、直実が首をとろうと甲を押しのけると、十六、七の息子と同じ年頃の美少年ではないか、首をとることなどできない、助けてやりたい、しかし大勢の源氏の兵が見過ごすはずはない、直実は泣く泣く敦盛の首をとった。
その後、直実は弓矢取る身の空しさを自覚して仏門に入り、紅顔の貴公子を悼んだと言われている。(案内板より)

 


里の一番奥のひときわ大きな家では、「平家落人大祭」の様子がビデオで流されていました。

平家落人大祭
平家が源平の戦いに敗れて800年の歳月が流れました。平家落人の里で知られる湯西川温泉では、毎年6月上旬、華やかだった昔を忍び平家落人大祭が開かれております。
絵巻行列をはじめ、白拍子の舞、火渡り式など古式豊かな優雅なお祭りです。(案内板より)

 

 






さらにその奥には、赤間神宮がありました。赤い鳥居が白い雪に映えて雰囲気があります。



 




観光客が他に一人しかいなく、あたり一帯静けさに包まれていたので、観光施設に来たというよりも、どこかの雪深い田舎の集落を歩いている感じでした。

里の中にはお茶が飲める休憩処もあり、日本の田舎らしいのんびりとした時間がすごせると思います。

 


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