2013年10月21日月曜日

トルコ旅行記#07-イスタンブール市内観光(トプカプ宮殿1)

旅行期間:2013年9月29日~10月8日

2日目

宮廷料理のランチのあとはトプカプ宮殿の見学です。
すでに第一の門をくぐって中庭にいるので、その庭を通りぬけ第二の門へ。
セキュリティチェックを受け中に入るとトプカプ宮殿の模型がありました。

 




=====ガイド=====
トプカプ宮殿は町みたいな宮殿で、6000人が暮らしていた。
現在は誰も住んでいなく博物館になっている。

右サイドには煙突が10本建っていて台所だったところで、現在はいろいろな焼き物が展示されている。ほとんどが凱旋祝いで、日本からプレゼントされたものあり、伊万里焼、有田焼、備前焼などがある。
今は修復中で中には入れない。

左サイドにはハーレムがあり、日本の大奥のような場所だった。
その前には正義の塔(法律の塔)が建っていて、その下には裁判所があった。

宮殿の第三の門(幸福の門)を入るとすぐに謁見の間がある。
その前に図書館があり、左手には宝物館がある。

オスマントルコ時代というのは3つの時代に分かれている。
1299年にブンサという町で、オスマンという名前の王様が作った帝国。だからオスマントルコ帝国と言われている。ここから始まった。

その後の14~17世紀はオスマントルコの黄金時代。
この時代には、アラブ世界、北アフリカ、エーゲ海、地中海、スペインからハンガリーまでオスマントルコだった。

1868年、日本で明治維新があったころ、オスマントルコの衰退がはじまる。
国が大きすぎてどんどん落ちていった。
1915年3月18日、チャナッカレ海峡の方で戦争が始まる。最終的にトルコが勝ったが、93万人が亡くなった。
戦争の後、1923年にアタチュルクは今のトルコを作り、初代大統領となった。

トルコ人にとって、アタチュルクというのは神様みたいな存在。
どんなお札を見ても彼の写真が使ってある。彼は、1938年11月10日にイスタンブールのドルマバフチェ宮殿で死亡した。
建国後、亡くなるまでの15年間大統領を務めた。

トルコは非常に強かったため、今でもスペインやイタリアなどの国では、親が子供をしかるとき「いい子にしないとトルコ人を呼ぶぞ」と言っている。
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まずはハーレムの建物の中へ入ります。
内部は美しいタイルで装飾されていて、その細やかな模様に見入ってしまう。


 

 

 


=====ガイド=====
ハーレムとは「立ち入り禁止の場所」という意味。
王様と同じ家系の男性だけ入ることができた。

この中には2000人の女性がいた。
ハーレムは4つの階級に分かれていた。
一番はスルタンの母親、二番はスルタンの気に入った女性、三番はスルタンの子供の母親たち、最後はたくさんの女奴隷。
奥さんと言わなかったのは16世紀まで正式な妻がいなかったため。

初めて妻になったのがロシア人のヒュッレム・スルタン(ロクセラーナ←ロシア人の女という意味)。
彼女は19歳で奴隷としてトプカプ宮殿に入った。21歳でスルタンの気に入った女性になり、22歳で世界中で有名なスルタンスレイマンの正式な妻になった。そのあとずっとオスマントルコの正式な妻だった。
彼女はものすごい美人でインテリだった。

ハレム内の階級差別はものすごく、いったん中に入ったら一生出ることはできなかった。そのため刑務所のようだった。

壁には神様のところと書いてあり、周りには昔のアラビア文字でコーランのお祈りが書いてある。
タイルは16世紀から17世紀のもの。



宦官の部屋には、人形が展示されていて当時の様子がわかる。



当時のトルコでは女性は男性の4m後ろを歩いていた。
男性は離婚したかったら「離婚」と三回言えばできた。
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次に、女性たちの部屋、スルタンの母親の儀式用の部屋などへ。
壁の模様はもちろん、螺鈿細工に暖炉や窓枠のデザインも素敵。



 

 

 

 

 





 



 

 


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